ホーム > 国語学会の成立とその使命
顧みれば、明治十三年、時の東京大学綜理加藤弘之は、当時漸く国家社会の問題として論議に上りつつあった国語問題の解決のために、博言学(後の言語学)研究の留学生を欧米に派遣することの急務であることを建言した。このことは、実に我が学界に西洋言語学の紹介せられ、延いては国語学の創始せられる端緒を作ったものであって、明治十九年には博言学科(明治三十三年言語学科と改む)が、同二十六年には国語学の講座が、それぞれ東京大学に創設せられた。明治二十七年上田万年博士帰朝せられて、東京大学に於いて博言学の講座を担任せられると同時に、始めて科学的体系を持った国語学の講義を講ぜられることとなった。これ実に我が国に於ける新国語学の発足というべきである。博士は一方に於いて国語問題解決のために奔走せられるとともに、明治三十八年以後に於いては、専ら国語学の講座を担当せられて、その建設発展に尽瘁せられた。実に国語学の誕生は、明治以後の国語問題に刺戟せられ、西洋言語学の理論問題方法に基いて組織せられるに至ったものであって、その後幾多の研究者によって継承開拓せられて今日の盛を見るに至ったものである。新しい文法体系の樹立、国語の系統並に歴史に関する研究、国語の方言に関する研究、音声に関する研究等は、明治以前には存在しなかったか、或は全然新しい言語学の理論に基いて研究せられた業績であって、更に外国文学者、外国語学者、心理学者、民族学者等の側からも有力な研究が現れるに至った。言語学が当面の急務である国語問題の解決に、果して有効適切な示唆と方法とを与えたかは暫く措くとしても、国語学が近代科学の体裁を組織するに至ったのは、全く言語学の賜物であったといわなければならない。
しかしながら翻って思うに、国語の学問的研究は、明治以後に於いて突如として創められたものでなく、古く中世歌学の中に胚胎し、近世に至っては、国学の一分野として幾多不滅の業績を残しているのであって、明治以後各大学専門学校に於いて国語学の講ぜられる際にも、多くの場合、国文学科とともに一学科を構成するか、或は国文学科の中に於いて講ぜられるのが常であった。これは一面研究資料等を共通にする便宜から来ることではあろうが、実は我が国語研究の歌学或は国学に依存した古い伝統の然らしめるところと云わなければならない。しかしながらこのことは、同時に国語学の発展の上に、ある制約を齎し、或は国語学の性格に一の先入観を植えつけることがなかったということは出来ない。かくして今日の国語学は、その性格に於いて、その成立の歴史に於いて、種々なる要素を包含するものであって、今に於いて国語学と国語問題との関係、国語学と言語学との関係、国語学と国文学或は国学との関係等について吟味検討し、国語学のあるべき位置を定めることは、将来国語学の自律的発展を企図する上に極めて重要なことと考えられるのである。
更に又、多岐多端に亙る今日の国語研究の分野を見るに、各研究者は自己の専門領域に立て篭って、相互に充分の交渉連絡なく、互に相扶け、互に啓発する機会に恵まれることが甚だ少かった。相互の聯繋を密にし、学界の総力を合せて国語学の進展を図ろうとすることは、学界多年の要望であって、しかも今日までこれを実現し得なかったことである。
又翻って思うのに、今日に於いて国語のあらゆる実践部面は、国家社会生活の進展に伴い、益々その重要性を増し、国語学のこれに対する関与の要請せられることは昔日の比ではない。過去に於いては、国語学は僅かに和歌文章の制作か一古典解釈の基礎として関心を持たれたに過ぎなかったが、今日に於いては、かかる文芸的言語や古典的言語に止まらず、あらゆる国語の実践部面が、解決を要する多くの問題を提供していることを思わねばならない。国語問題、国語行政、国語教育、更に一般社会及び家庭に於ける国語の醇化、教養、躾の問題、又外国語としての日本語の教授法等の問題を含めて、将来の国語学は、これら実践の諸部面に対して、無限の研究課題を負うていると云ってよいのである。国語学はこれら実践部面に確固たる理論を供給せねばならないと同時に、又これら実践部面に対する関心と省察とによって、国語学の学問的領域を拡大し、その体系を創造して行かねばならない。我々は、過去に於いて国語学が受けた言語学の恩恵と、国学の一部として残された多くの業績を思うと同時に、それを乗り越えて、明日の国語学の創造と発展とを企図しなければならないのである。
かく国語学の直面しつつある新しい事態と、これに呼応する国語学の最近に於ける革新的機運とによって、強力な全国的国語学会の結成の必要が痛感せられるに至り、ここに国語学会の成立を見るに至ったことは、学界はもとより我が国文化のために慶賀すべきことであると云わなければならない。本学会は、その成立の事情より見ても明かなように、一学派の研究機関ではなくして、あらゆる学派学風の綜合的研究団体であり、学者、実際家の共同の研究機関である。従って、一部学派の主義主張を貫徹することを目的とするものではないが、さりとて学問的方法と、国語の実践部面に対する主張に於いて妥協を求め、学会の真の生命である厳正な批判的精神を忘却するものではない。
ここに国語学の現状と、その将来についての抱負を述べ、国語学会結成の真意を明かにして、江湖の御指導と御支援とを冀う次第である。
追記 本稿は、昭和十九年春、国語学会成立当時、橋本進吉博士の命により、発起人会の席上、博士が述べられた国語学会設立趣意書に基いて、時枝誠記が起草し、二三発起人の立会のもとに加筆訂正を加えて、一応の決定を見たものである。直に機関雑誌に掲載する予定のところ、雑誌刊行のことが遅延したため今日に至ったのであるが、橋本会長逝去せられた今日、これを公にするについては、今一度、評議員会の議を経ることが適当と考えたのであるが、仮に成立当時の記録としてそのままこれを公にして、広く学会一般の批判に委ねることとした。なお、今日より見て不適当と思われる二三の字句を訂正することとした(時枝)。
『国語学』第一輯〈昭二三・一〇・三○〉より