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学会名称問題に関する意見欄:寄せられた意見
001 福田 嘉一郎(神戸市外国語大学)
一般に、「X 学」という語における「X-」が単独でも用いられる形態素である場合、「X 学」は「X を研究の対象とする学問」を表す。これに従えば、「国語学」という語は、「国語を研究の対象とする学問」を表すと見るのが自然であろう。問題は「国語」が何を表すかであるが、これについては周知のように、見解の一致を期待することが難しい。ここでは次の一点に限定して考える。すなわち、「国語」という語が日本語以外の言語を表しうるか否かである。
歴史的には、「国語」はむろん普通名詞であって、日本語以外の言語を表しえた。例えば、「米国の国語」と言った場合の「国語」は英語と受けとれる。そこで、「国語学」すなわち「国語を研究の対象とする学問」が表す意味としては、次の二つが予測される。(1) 世界におけるいずれかの国の「国語」と見られる言語のすべてを研究の対象とする学問、および、(2) ある国の「国語」と見られる言語を研究の対象とする、その国において営まれる学問である。新村出氏は(2)の解釈をとり(『新村出全集 2』筑摩書房1972: pp.11-)、亀井孝氏は(1)の解釈をとろうとした(『国語学大辞典』東京堂出版1980: 「国語」の項)。しかるに、「国語学」という語が通常表す意味は(1)(2)のどちらでもない。(1)でないことは言うまでもなく、(2)も、米国における英語学や、フランスにおける仏語学を「国語学」と呼ぶことはないから、あてはまらない。「国語学」は日本語を研究の対象とする学問を表すのみである。
「国学」「国文」等における形態素「国‐」は、事実上「日本の」の意味しかもっていない。しかし、「国語」がそれらの語と並行するものではなく、「日本語」と同義の固有名詞とはとらえられないとするならば、「国語学」は、その語形成から予測される意味と、実際に表す意味とが慣習的に異なっている語であるということになろう。