日本語学会

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《誌上フォーラム:「国語学」と「日本語学」》

(『国語学』52巻2号(205号) 2001・6・30 p.95-96)

名称の変更と学会再編

柴田 武

 この問題がやかましくなってきたのには,いくつかの理由があるに違いない。
 (1) 「国語学」という名称が好ましくない。
 (2) 万葉集の文字の研究と21世紀の東京語の音声の分析とでは,対象も研究方法もあまりにもかけ離れている。
 (3) 近ごろ,文献学よりも現代語の言語学的研究のほうが元気がいい。(研究者も多く,論文も多い。)
 それならば,名称を「国語学」から,例えば「日本語学」に変えればいいのではないか。それは至極簡単なことのように思われる。しかし,実はこれが大変で,おいそれとは実現しない。
 かつて,「民族学」会が名称を「文化人類学」会に変えようという声が高まったことがある。「民族学」は ethnology の訳で,古くからの名称。ところが,戦後できた大学の学科名はすべて「文化人類学(cultural anthropology)」科,そこを卒業した若手の研究者から声があがった。私の記憶では,10年ほど議論が続いたが,結局は旧来通りとなった。「国立民族学博物館」という施設があり,「民族学協会」という民族学を育てて支えてきた団体もある。既成事実の強みがあった。これは,学問の内容は同じで,単なる名称変更の例である。
 そのときの経験から考えると,われわれの場合も,まず学の内容を整備し,対照させ,それにふさわしい学の名称を考えるべきではないかと思う。
 わたくし個人の考えでは,一方を「日本語文献学」とし,一方を「日本語言語学」とする。ここで「文献学」というのは,『ラルース言語学用語辞典』(J.デュボワ他著:伊藤他編訳)によると,la philologie(philology)は,

過去の文明がわれわれに残した書かれた資料により,過去の文明を知ることを目的とする,歴史科学である。(中略)文献学者の主な労作はテクストの発刊である。
 これに対する「日本語言語学」は,過去の言語でも現代語でも差し支えない。歴史科学とは限らない。非歴史的な記号論やコミュニケーション論でもある。また,過去の文明を知ることだけが目的ではない。
 また,単なる慣習かも知れないが,国語学のもとでは系統論や形成論は扱われにくく,雑誌「国語学」で現に扱われたことがない。学際的な社会言語学や心理言語学は国語学のなかには入りにくい。日本語言語学は,何でも含みうるし,方法も固定していない。
 さらに,研究活動にしても,国語学会では国際的な研究集会を持とうという発想は生まれにくいし,英語で論文を書こうともしない。日本語言語学はむしろ進んでそういうことをしたがるかもしれない。
 「国語学」の国語は,単なる Japanese(language)という意味ではない。語源は「国家語」の略であると,提唱者の上田万年自身が言っている。その「国語」は「国旗」や「国歌」と並ぶ術語になっている。言語を国家単位に考える思想から出ていて,もう世界の言語状況ではもちろん,日本国内でも通じにくくなっているし,日本語自身が日本国だけの言語ではなくなっている。言語は文化単位のものだということが日本人にもようやく実感できる時代になってきた。
 以上述べてきたことを,学会名・学の名称・研究の内容に分けて表にしてみると,次のようになる。

学会名学の名称研究の内容
日本語文献学会日本語文献学日本語文献学
日本語言語学会日本語言語学日本語言語学

 しかし,これでは名称が長すぎるし,現状からあまりにもかけ離れている。そこで,名称について現状との妥協を図り,次のようにしてみた。

学会名学の名称学の内容
国語学会国語学日本語文献学
日本語学会日本語学日本語言語学

 この案は,今の「国語学会」の分裂につながり,新しい学会の設立を伴う。当然抵抗はある。それに,一般論として学(会)の細分は弊害を伴うと言われる。それをあえてすることになる。ただ,日本語学会を新たに作ることになれば,清新の気風が生まれて,研究は必ず躍進する。最近出来た「社会言語科学会」の様子を見ればよく分かる。
 細分の反対に,統合を考えて,今の「国語学会」と「日本語教育学会」とを一つにすることも考えられる。後者にはいい影響を与えると思うが,現状ではあまりにも組織が大きくなりすぎて,結局,分科会を作らざるをえなくなるだろうと思う。「日本語教育(学)」は「日本語学」の応用または実践部門として,また,日本語教育の現場が投げかける問題を日本語学が研究課題として受け止めるという,相互協力の別学会とするのが現実的だし,望ましいことだと思う。(2001.04.28)

――東京大学名誉教授――
(2001年5月2日 受理)

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