日本語学会

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200集記念号・寄稿

(『国語学』200集 2000・3・31 p.4-8)

日本語研究のために 学会・機関誌の名称をめぐって

鈴木 重幸

 わたしはふるくからの会員であるが、おもに学会のそとで研究をつづけてきたものである。そうした立場からの体験をまじえて、個人的な見解を重点的にのべる 注1
 近代日本、とくに戦前・戦中の国家・民族と言語(日本語)との関係をめぐって、「国語」、「日本語」という用語にこめられた・政治性・(時の権力の言語政策にどのように利用されたか、など)が、いわゆる国語学のそとで、主として、ナショナリズム論、社会言語学の研究者たちによって指摘されてきた 注2。学会名称をどうするかという当面の問題は、今日の日本の社会的な状況のもとでわたしたちの科学をどのようにしてまもり、発展させていくべきかということとかかわっていて、政治的な意味づけをもたざるをえない。
 よくしられているように、第二次大戦前に、すでに亀井孝が「国語学」の問題点をとりあげ、それにかわるべき科学は、言語学に属する「個別言語学」の一つとしての「日本言語学」であるべきだとして、あらたに「日本語学」という用語を提案している 注3。また、それと前後して、佐久間鼎も日本語の教育(いわゆる国語教育と外国人に対する日本語教育)と関連させて、当時の国語学を批判し、それにかわる科学として「日本語学」の建設を主張し、その構想をのべている 注4。これらの問題提起は、時代をこえて今日にもいきている。
 すでにあきらかなように、「国語」という用語は、日本語の近代化の過程でつかわれるようになった用語であって、国家の言語という意味に由来しており、現在でも、日本人が自分たちの言語という意味で、日本語をさすのにつかわれている。つまり、この意味では日本人のあいだでしかつかえない用語である 注5。この点で、世界の諸言語の一つとして歴史・社会的に存在する日本語を対象にする科学をさす用語として、閉鎖的な「国語学」という用語は適切ではない。世界にひらかれた、あたらしい社会にふさわしい「日本語学」にあらためるべきである。このような「日本語学」は国語学を発展的にうけつぐ科学(個別言語学)であって、これまで国語学の名のもとになされてきたすべての成果、国語学史に位置づけられるすべての成果はもちろん、国の内外、国語学のワクの内外をとわず、流派・研究方法をとわず、すべての日本語研究をふくむものでなければならない。
 ところが、現在、国語学をあたらしい日本語学に発展させるにあたっては、なお、検討し、確認しておかなければならない重要なことがある。外国人(正確には、日本語を母語としない話し手)に対する日本語教育の高まりにともなって、あらたに多数の日本語教師が必要になった。日本語教育には日本語について整理された科学的知識が必要であるが、国語学は彼らにそうした知識を効果的に提供することができなかった。具体的に一例をあげれば、「未然・連用……」の学校文法を克服した文法論にもとづく現代日本語の記述文法(入門的なもの、くわしいものをふくめて)が、国語学の世界に用意されていなかったのである。そうした研究は一部では、はじまっていたが、おおくの国語学者の目にはふれず、大学などの国語学担当の教師などにきいても、満足した答えはえられなかった。そこで、一部の日本語教師は、そのような知識を国語学のワクのそとの研究にもとめ、みずからもそうした研究にたずさわった。たとえば、アメリカにおける日本語研究や日本語教育の実績によりどころをもとめる、など。いわゆる日本語教育に必要な日本語研究という意味で、これも「日本語学」とよばれるようになった。こうした現象は国語学がもっている“内部矛盾”のあらわれであり、国語学者は深刻にこの事実をうけとめなければならない。それは、日本語教育という実践とむすびついた日本語研究であるという点で、あたらしい段階の日本語研究への契機となる積極的な可能性をもっている 注6
 しかし、一方で、こうした状況にある「日本語学」はいわゆる日本語教育に奉仕する日本語の研究という意味あいをもっていて、一部の日本語教師・研究者にとっては、日本語研究の中心部分は従来の研究にまかせ、日本語教育に直接かかわる部分、側面だけをとりあげる研究である、という理解があるようである。このばあい、「読んだ」は国語教育では二単語(連用形+助動詞)、日本語教育では一単語(過去形)だという現状に矛盾を感じないで、それ以上関心をしめさないことになる。そうだとすれば、それは「日本語学」を「日本語教育」「日本語教育学」に従属させる偏向である。そこでは、「日本語学」はこれまでの日本語研究の歴史を無視し、それとは無関係に、「日本語」を研究することになって、学問として貧困にならざるをえない。
 つまり、戦後しばらくたってから、さかんにつかわれだした「日本語学」という用語は、極端に単純化していえば、プラスとマイナスの二つの傾向をもっている。もちろんその二つの傾向は絶対的なものではなく、かさなりあい、はたらきかけあう部分をもっているが。一つは、国語学をあたらしい状況のもとで発展的にうけつぐ科学としての「日本語学」である。もう一つは、いわゆる日本語教育(外国人に対する日本語教育)との関連で、国語学にあきたらず、国語学をみかぎって、それとは別になされる、日本語教育に直接役だつ研究、たとえば、応用的な日本語研究としての「日本語学」である。誤解のないようにつけくわえるが、すべての日本語教師・研究者が「日本語学」をそうみている、といっているのではない。第二の意味の日本語学はこれまでの国語学と共存する。よくいえば、おぎないあう関係にあるが、たがいになわばりをおかさない点では、個別言語学の体系の一部をそれぞれ他から孤立させてあつかうという意味で、両方とも欠陥科学となる。両者の共存は日本語研究の分裂を固定化する。
 ところが、文部省が日本語学を追認し、従来の国語学と共存させる方向をとった 注7。文部省は、大学において、国語教育の教員養成には国語学を必修とし、日本語教育の教員養成には日本語学を必修とする、という道をえらんだのである。
 くりかえすが、「日本語学」という名称が日本語教育との関連でつかわれだしたのは、「国語」という閉鎖的な用語をきらったほかに、そうしたあたらしい実践が要求する日本語の事実を国語学が効果的に提供できなかったからである。先の例をもう一度とりあげれば、国語学は、その中核的な部分をしめる文法論において学校文法のワク組みを克服できないでいる、という欠陥をもっていた。学校文法の克服は日本語教育だけではなく、いわゆる国語教育も必要としているのである。わたしたちはこのことを強調してきたが 注8、文部省は、このような、国語教育と国語学に存在する問題点を解決する方向にむかわず、日本語教育のためには「日本語学」を用意すればよい、と判断したのである。文部省は日本語教育という“外圧”から、従来の、矛盾をはらんだ国語教育と国語学をまもり、温存させるために、にわか仕立ての「日本語学」をあつらえた、といってもよい。つまり、二つの用語を政治的に利用したわけである 注9。国語学と共存する日本語学は科学としての内容があいまいであるが、このばあい、内容は問題ではない。
 国語教育については、ここではとりあげないが、日本語の教育には、日本語を母語とする話し手(児童・生徒)に対する日本語の教育(いわゆる国語教育における日本語の指導)と外国語(日本語以外の言語)を母語とする話し手に対する日本語の教育(いわゆる日本語教育)とがあるのである。日本語研究は、それぞれ独自性のある、この二つの日本語教育に直接・間接に奉仕することによって健全な科学であることが保障される。
 結論をいそごう。日本語を研究する科学は一つ、「日本語学」があればいい。それは、「国語学」のすべての成果を発展的にうけつぐ、あたらしい段階の国語学である。「国語学」はその中に解消する。現在の「国語学会」は名称を「日本語学会」にあらためて、科学の統一をまもるべきである。そして、全分野にわたる日本語研究の、唯一の全国的な学会としての責任をはたすべきである。「日本語学会」は、現在、自分の専門分野を国語学、日本語学、言語学、文献学、国語教育(学)、日本語教育(学)……などとよんでいる日本語研究者・教師、およびそれをめざす学生などを会員とする学会である。
 一方、目を現在にうつせば、最近の国語学会は、部分的、なしくずし的にではあるが、すでにあたらしい「日本語学会」として機能しはじめている、といってよいかもしれない。そうだとすれば、名称の変更は、それを正式に確認することであり、さらに、そうした機能を意識的に、全体的に一層確実なものにするという態度を表明することである。
 つぎに機関誌の名称。すでにあたえられた紙数を大幅にこえているので、簡単にふれる。《国語学会―『国語学』》という関係からみれば、『日本語学』がいいが、すでに商業誌の名まえとしてつかわれているので、無理である。「日本語」という単語または構成要素をふくむもので、なるべく一般的な名まえがのぞましい。一例をあげれば、『日本語研究』がいいとおもう。すでにローカルな雑誌、機関誌名として、つかわれている可能性があるが、このばあい、「日本語学会(機関誌)」という単語をかぶせて、機関誌の表題を《日本語学会『日本語研究』》《日本語学会機関誌『日本語研究』》のようにして、他から区別すればよいであろう。

注1
 わたしはこのテーマに関連した、小さい論文をかいたことがある。1986「国語学と日本語学」(鈴木重幸1996『形態論・序説』(むぎ書房)所収)
注2
 身ぢかにみられるものとしては、『国語学』197集にのった、安田敏朗の二つの著書に対する書評(鈴木広光執筆)がある。
注3
 亀井孝1938「日本言語学のために」(亀井孝1971『日本語学のために』(吉川弘文館)所収)
注4
 佐久間鼎1937「日本語の科学的認識とその教育的実践」、1938「日本語の海外普及と日本語学」など(ともに佐久間1942『日本語のために』(厚生閣)所収)
注5
 子安宣邦1994「「国語」は死して「日本語」は生まれたか」(『現代思想』8月号)によれば、第二次大戦中は、国家権力とその代弁者が植民地、朝鮮・台湾をふくめて、日本帝国の内部では日本帝国の言語としての国語、外部(東アジア)に対しては日本語というように、この二つの用語をつかいわけた、という。現在、(複合語の要素をのぞいた)単語のレベルでは、日本人のあいだでも、日常語として「日本語」の方が普通になっている。なお、日常語としての「国語」には、このほかに、教科としての「国語科」をさす意味がある。子安の論文については、なお(注9)を参照。
注6
 外国人に対する日本語教育の高まりはこれがはじめてではない。・大東亜共栄圏”の共通語としての日本語という対外政策のもとにおける、第二次大戦中の日本語教育がある。わたしの立場からは、当時の日本語教育は学校文法の矛盾とどうかかわってきたか、という観点から検討する必要がある。
注7
 文部省国際学術局〈日本語教育施策の推進に関する調査研究会〉の報告「日本語教員の養成等について」(1985)を参照。そこでは〈日本語教員に必要な知識・能力〉の科目名として「日本語学」をあげて、「国語学」を無視している。
注8
 民間教育団体の教育科学研究会(教科研)・国語部会は、あるべき国語教育のなかに、言語(日本語)の指導と言語活動(よみ・かき・きき・はなし)の指導とをみとめる(奥田靖雄1957「すぐれた日本語のにない手に」、1959「言語と言語活動国語教育の構想」参照。ともに奥田靖雄・国分一太郎編1974『読み方教育の理論』(むぎ書房)所収)。その構想にしたがって《とりたてておこなう日本語指導》のテキストとして、学校文法にかわる文法論にもとづく、『にっぽんご』シリーズ七冊(むぎ書房1964〜)をだしている。(鈴木重幸1972『日本語文法・形態論』(むぎ書房)は、その『4の上』の解説である。)わたしは、奥田靖雄を指導者とする教師・研究者のグループのメンバーとして、1954年以来「学校文法批判」(学校文法とそれをささえる文法論に対する批判)をくりかえしてきた。(それに関する諸論文は鈴木重幸1972『文法と文法指導』、1996『形態論・序説』(ともにむぎ書房)におさめられている。)
 国語学内部でも、時枝誠記の文法論から出発した渡辺実が『国語構文論』(塙書房1971)をだして、時枝を批判したときに、学校文法をささえる文法論は理論的に崩壊した、とわたしはかんがえている。単語の認定という文法論の基本的なところで、渡辺は学校文法のワク組みを否定したのである。しかし、おおくの国語学者たちは、そのことの重大性を意識せず、国語教育において学校文法のはたしているマイナスの役わりに無関心で、なにも発言していない。ここではこうしたことを指摘するにとどめるが、学校文法をささえる文法論の崩壊過程は文法学説史の問題として厳密にあとづけなければならない。
 一方、現在では、現代語文法の研究者のほとんどが「読んだ、読もう、読めば」を単語(変化形)とみとめるようになっている。学校文法の単語の認定を弁護する積極的な発言は現代語文法の研究者からはきかれない。あるとしてもごく少数であろう。
注9
 子安宣邦は、(注5)でふれた子安1994で、四〇年代における国家権力のもとでの「国語」と「日本語」の使いわけが七〇年代以降における「国語」と「日本語」、「国語学」と「日本語学」の使いわけに無自覚的にくりかえされている、と指摘して、われわれ日本語研究者に警告を発している。文部省による「国語学」と「日本語学」の使いわけに対する、日本語研究者の対処のし方がとわれていることになる。なお、「国語教育」と「日本語教育」という用語の使いわけにも注意が必要であろう。
――拓殖大学教授――

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