日本語学会

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総   記

(『国語学』193集 1998・6・30 p.1-4)
山口佳紀

 はじめに

 今期の展望期間は、平成八年・九年の二年間である。この二年間は、日本の戦後史の中でも特に記憶に残る年として、振り返られる時が来るものと思われる。平成八年には、戦後政治を規定する枠組みであった中選挙区制が廃止され、小選挙区比例代表並立制による総選挙が初めて実施された。
 また、同じく平成八年には、いわゆる住専(住宅金融専門会社)の不良債権処理問題によってバブル経済の後遺症があらわになり、さらに平成九年には日産生命・北海道拓殖銀行そして山一証券が相次いで破綻し、戦後の経済体制が音を立てて崩壊するさまを眼前にしたのであった。
 もっとも、このような社会体制の変化が直ちに国語学という学問のあり方に影響を与えるとは、考えにくい。一般に学問が進展するためには、ある程度の長さをもった時間が必要であって、一、二年のうちに急激に変化するようなものではないからである。
 しかし、だからといって、一般に学問がそれら社会的変化とは一切無関係に、内在的要因のみにより自律的変化をたどるものかというと、決してそんなことはない。短いタイムスパンで見ると分かりにくいだけで、従って学問に携わっている人間自身、あるいは同時代人には意識されにくいだけで、確実に影響を受けているものと考えられる。
 「総記」という項目が国語学界全体の動向を総括するという意味であるならば、国語学それ自体の変化を見届けるためにも、またそれを社会的変化との関係において把握するためにも、二年間というのはどう見ても短か過ぎるであろう。
 従って、この二年間という枠取りにはあまりこだわらずに、最近における国語学界の話題の中で、特に注意すべき一つの話題に絞って考えてみたいと思う。

 一

 今最も注目を引く話題は、我々の携わっているこの学問を「国語学」と呼ぶか、それとも「日本語学」と呼ぶかという問題ではないかと思う。
 国語学会の平成九年度秋季大会(山形大学)において、参加者に「学会運営についてのアンケート」が配布された。その集計結果の概要は、『国語学』一九二集に報告されているが、その中で、「国語学会」という学会名について、そのままでよいとする回答が七五・〇%あったとのことであり、改称の必要なしとするのが大勢のようである。ただし、「自由記入欄」の方を見ると、「日本語学会」に改名せよというコメントを付した人が27名であったのに対して、「一時のブームに乗って国語学→日本語学という安易な変更をしてほしくない」「名称変更には賛同しかねる」といったコメントが少数(3名)あったという。
 この場合、大事なのは、「国語学」と「日本語学」とは同じ学問なのかどうかという点であろう。名称を変えるという場合、従来の名称と新しい名称とがどういう関係にあるのかということを見極める必要がある。
 アエラムック・シリーズ『日本語学のみかた。』(平9・10)の中で、佐竹秀雄「二十の分野と方法論文字・表記」は次のように記している。

 従来の国語学における文字・表記に関する研究は、歴史的な研究と現代語における研究に二分されてきた。しかし、日本語学の立場では、現代語の研究が中核にあり、歴史的な研究は、現代語までの変遷を跡づけるものとして意味があると考えられる。
 たとえば、万葉集における万葉仮名を中心とした表記法の研究などは、国語学における大テーマである。しかし、日本語学においては、それは、どちらかというと基礎的なことがらであって、現代表記とのかかわりにおいて問題とされる。
 これは専門家を相手にして書かれた文章ではないから、かなり事柄を単純化して述べてあるかも知れないが、一つの見方を分かりやすく記したものと解される。
 しかしながら、「国語学」は現代語研究とともに歴史的研究を重視し、「日本語学」は現代語研究を中核とするという言い方は、そのような慣用が事実として既に生じつつあるにしても、固定化すべきかどうか、甚だ問題である。このまま行くと、「国語学」は歴史的研究を、「日本語学」は現代語研究を中核とするという慣用が出来かねない。

 二

 ところで、「国語学」が「国語」を対象とする学であり、「日本語学」が「日本語」を対象とする学であるとすると、右の違いは「国語」と「日本語」との違いから出て来たことになる。「国語」を「自国語」の意に解すると、ここで言う「国語」とは日本人にとっての日本語ということになる。すなわち、母語としての日本語である。
 研究者が言語(この場合は日本語)について研究する時、それが母語であるか否かによって、方法的に異なるのは、研究者自身の内省が利用できるかどうかである。しかしながら、そのことによって、日本語の研究結果が、それを母語とする研究者と、母語としない研究者との間で異なっていいということにはならない。外国人研究者は、それを母語とする者をインフォーマントとして利用するか、日本語を母語とする者と同程度に熟達すればよいに過ぎない。
 また、過去の日本語については、仮に研究者が日本人であっても、内省が可能でない。従って、過去の日本語は、日本人にとっても外国語に準ずるものと見なすべきである。だとすれば、研究対象を母語である、すなわち「国語」であると謳う理由は、歴史的研究においても、何ら存しないことになる。
 以上のように考えてくると、日本語研究のために「国語学」という呼び方を保存することにどういう意味があるか、すこぶる疑問である。もともと「国語」は国家の存在を前提とする用語であるが、そのことに積極的意味を見いだして「国語学」という名称を用いている「国語学者」は、少なくとも現在は、案外少ないのではないだろうか。
 周知のように、亀井孝は「日本語の同意語として「国語」にいさゝかの学問的価値なきことはまた明かであらう」として、「国語学」という名称を棄てて「日本語学」と改称することを提案した(「日本言語学のために」(『文学』昭13・2)、『日本語学のために・亀井孝論文集1』所収)。
 また時枝誠記は、国語学の対象は国家や民族の観念を排除し、純粋に言語的特質に基づいて規定されるべきであるとする立場から、「国語学にいふ所の国語は、日本語と同義語と考へるべきで、これを日本語或は日本語学といはずに国語或は国語学と称するのは、日本国に生まれ日本語を話す処の我々の側からのみ便宜その様に呼ぶに過ぎないのであつて、厳密にいへば、やはり日本語或は日本語学と称」するのが適切であると述べている(『国語学史』昭15・2初版)。
 自らの携わる学問の名称が、いつまでも「便宜」にとどまることは、決して望ましいことではあるまい。歴史的研究も含めて「日本語学」と称するのが、妥当であると考えられる。

 三

 「国語学」と「日本語学」とが対立するかのような状況は、それなりに歴史的背景がある。たとえば、いわゆる国際化によって外国人に対する日本語教育が盛んになり、「国語教育」と「日本語教育」とを使い分けるようになったことが、「国語学」と「日本語学」との使い分けの成立に、多分に影響していると見られる。
 森田良行は、「日本語学の構想」(「日本語学の世界」(『日本語学』15-8、平8・7臨時増刊号))において、「日本語学」という名称は「国語学」を「今風に言い換えたわけではない」として、次のように述べている。

 日本語学は外国人に対する日本語教育の隆盛に伴い、必然的に現場の要請にこたえ得るよう、それまでの国語学の在り方を見直し、教育現場に役立つ学問として軌道修正をしていくうちに自然と発展してきた学問だからである。
 現代日本語の研究が日本語教育の要請に応ずる形で推進されてきたということは、ある程度事実であろう。しかし、だからと言って、日本語教育に役立てるための日本語研究だけを「日本語学」と呼ぶのは、どうだろうか。そのように考えると、同じ現代語でも方言の研究は、日本語教育にあまり役立たないからという理由で、「日本語学」から除外されないだろうか。
 このような問題になると、事は単に名称の問題にとどまらず、我々の学問は何を目標にすべきかという重大な問題に関わってくる。これは、なかなか難しい問題である。
 確かに、社会的要請に応えることは必要である。しかし、そのことのみを念頭に置くと、対象の捉え方にゆがみが生じやすい。
 従来の「国語学」にも、ある種の偏りがあった。かつて「解釈文法」なるものが盛んであったことがある。それは、大学における「国語学」の講座が大抵「国文学科」に属しているため、古典文芸の解釈に役立つ限りにおいてその存在価値が認められやすかったという、「国語学」のあり方と深い関係があろう。「解釈文法」それ自体は、価値がないわけではない。しかし、そこに目標を置く研究は、文法体系全体に対する志向が薄弱で、そのことが古典解釈にも益をもたらさない結果を生んでいる。たとえば、古代語のテンスやアスペクトに対する研究の遅れが古代の文芸作品に対する適切な理解を長く阻んでいたことなどが、その例である。
 平成三年に大学設置基準が改定された。それも、やはり「社会的要請」の結果であろう。それ以来、各大学は学部・学科の再編やカリキュラムの改定に追われている。それによって、大学における「国語学」あるいは「日本語学」の位置づけも変わってくるものと思われる。研究者は何も大学にのみ属するわけではないが、大学の制度が日本の学問の枠組みを大きく規定していることは、認めざるを得ないであろう。
 その際、いわゆる「社会的要請」をそのまま学問の目的に据えるのは、望ましくない。学問は、我々の認識をその根拠にまで遡って確かめようとするところに本領がある。学問に携わる者は、「社会的要請」を受け止めつつも、それとの間に一定の緊張関係を保つことの方が、真に社会的であると言えるのではないか。

 おわりに

 「総記」という項目で、我々の学問の名称と、それをめぐる問題だけに話題を限定するのは、偏頗な印象を与えるかも知れない。しかし、従来の「総記」を見ても、この項目の内容には一定の了解がないようで、歴代の担当者はさまざまな工夫を試みている。それをよいことにして、筆者の関心のあるところを述べることにした。
 ただし、どうでもよいことではないことだけは、分かっていただけるであろう。

――聖心女子大学教授――

(原文の縦書きを横書きに改めています)

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