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《誌上フォーラム:「国語学」と「日本語学」》
学問名か学会名か
以下に述べるような幾つかの理由に基づき,次のように結論づけたい。学会名称は「国語学会」よりも「日本語学会」の方が適当である。従って,学会誌もそれに応じた名称に変更するのが望ましい。
現時点において「国語学」か「日本語学」かという問題を考えようとする際の筆者の基本的な立場は,この問題はあくまでも現国語学会の名称をどうすべきかという問題として解釈する,というものである。すなわち,現国語学会の体制を基本的に維持することを前提にしその分裂や再編成は意図しない,ということである。本「誌上フォーラム」においてそういった方向を示唆する意見もあったが,筆者はそういった立場には与しない。むしろ,基本的には,鈴木重幸「日本語研究のために――学会・機関誌の名称をめぐって――」(『国語学』200,2000.3)の言うような,「(日本語学会が)全分野にわたる日本語研究の,唯一の全国的な学会としての責任をはたすべきである。」という考え方に賛成する。
国語学会が,人文科学の中では伝統と規模を誇る全国学会であることを考えると,学会の名称を今どうするのか,ということは政治的な意味合いを持たざるを得ない。ただ,この点に関してあまり深入りはしたくないというのが筆者を含め大方の学会員の率直な気持ちではないか。もちろん,歴史を背負った用語の有する政治性,あるいは言語そのものの有する政治性といった側面を無視してこの問題を論ずることは本来できないと言えよう。しかし,冒頭で述べた結論は,常識的で目新しくはないもののそれとは直接的には関わらない次の2点に基づいて導かれたものである。
- (1) 現状認識…
- 現在の国語学会を構成する学会員は,国籍・地域等から言って,もはや日本国だけにはとどまらない広がりを有する。
- (2) 名称の論理性…
- 「国語=日本語」という関係はどこまでも日本国を前提にしたものであり,一般的な関係ではない。
第一に,具体的な分野や研究対象との相性の問題がある。石井久雄「この学術の名は『日本語学』でもなく」(『国語学』200)が述べるように,「万葉集の日本語学的研究」というのはやはり落ち着きが悪い。第二に,英訳の問題がある。英訳というのは,自らを世界に向かってどのように発信するか,ということに他ならないが,国語学会や『国語学』の英訳,The Society of Japanese Linguistics,Studies in the Japanese Language を見れば,研究対象が日本語であることは一目瞭然である。そういう点では,「国語学」というのは「日本語を対象とする研究」に対する伝統的な名称でありいわば内向きの用語として位置づけられるのであって,そういった性格を認識した上でなら受容するのは構わないのではないか,という立場も充分に有り得よう。
以上のように考えて来ると,今回の問題は学問名称の是非とは一旦切り離して扱った方が具体的な進展をみやすいように思われる。従って,そういう意味では,筆者は,今後「国語学」という名称が公の場で使用されることに異議を唱えるつもりはないし,ましてや,個人が自らの責任で「国語学」という名称を使用することには何の問題もないと考える。「国語学」という名称を採ることが無意識的にせよその研究内容に偏狭な性格を与えてしまうかのような議論がなされることがあるが,いろいろ考慮すべき歴史的背景が存在することは確かだとしても,もし本当にそういったことがあるとするならば,それは何よりも研究者個人の資質の問題であるだろう。優れた研究者ならば,決してそういった弊におちいることはないと筆者は信ずる。
なお,このこととの絡みで一つ問題にしたいのは,学会の規約(?)のことである。『国語学』に載っている「国語学会について」の最初の項に,「国語学会は国語研究の進展と会員相互の連絡を図ることを目的とし,広く全国の国語学研究者および国語に関心を持つ人々を会員として運営されている学会です。」とある。もし,「国語学会」が「日本語学会」と改称したならば,この中の「国語」という語は基本的に「日本語」に置き換えられると思われるが,「国語学研究者」という部分だけは残しておいてもいいのではないか。たとえば「全国の日本語学・国語学研究者」というように。学会の名称は変わっても「国語学研究者」がいなくなるわけではないからである。
※なお,ホームページへの掲載にあたり,htmlファイルでは表示が困難な表記形式は別の形式に置き換える(傍点→太字,丸付き数字→カッコ付きの数字 等)などの,必要最低限の形式上の改変を加えています。