あいさつ
lastupdate 2014/5/24

 

学会の一層の活性化に向けて(70周年記念式典式辞)

2014年5月17日

日本語学会会長  上野 善道

 

 「日本語学会」は,昭和19(1944)年3月に橋本進吉会長のもとで「国語学会」として発足して,今年で70周年を迎えます。学会がこれまで営々と研究活動を続けて来られたのは,歴代の執行部と会員の絶えざる努力の結果に他ならず,その歴史は,正に私たちの誇りであり,喜びでもあります。

 

 本日は,この式典にあたり,「国語学会」を2004年1月から「日本語学会」に変えることに御腐心くださった山口佳紀元国語学会代表理事と,新しく大学共同利用機関として生まれ変わり,日本語学会ともさらに深い関わりを持つようになっている国立国語研究所の影山太郎所長に来賓としてお越しいただきました。後ほど御祝辞を賜わります。

 

 さて,そのような長い伝統を持つ日本語学会ですが,過去の歴史もさることながら,それよりも重要なのは,現在であり,将来であります。小林賢次前会長の御逝去に伴ってその後を引き継いだ私は,残る任期1年半の学会運営の基本方針として「学会の一層の活性化」を掲げました。具体的に言うならば,「研究の一層の活性化」と「組織の一層の風通しの良さ」の二点になります。これらの方針のもとに,その具体策を理事会と各種委員会においてさまざまな観点から検討して参りました。今朝の評議員会において承認された事柄を中心に,それらを御報告いたします。

 

 「研究の活性化」については,特に「若手の研究支援」に重点を置くことにしました。

 

 まず,学生会費を今の8,000円から5,000円に大きく値下げします。一般会費1万円の半額とし,今年の4月1日に遡って実施します。それから,予稿集代金を「参加費」という名目に変え,2,500円から2,000円に引き下げました。こちらは全会員に適用されます。これらにより,学会の入会者,大会の参加者が増えることを期待しております。

 

 次に,原則として40歳以下の若手会員を対象とした「学会賞」を設けました。機関誌『日本語の研究』の各巻に載った論文を対象とする「論文賞」と,各大会での口頭発表・ブース発表を対象とする「発表賞」です。論文賞はすでに出ている第9巻(2013)から,発表賞は今年秋の北海道大学の大会から実施します。投稿や発表の申し込みが一段と活発になることを願っております。

 

 また,来年春の関西学院大学の大会から,従来の土曜日と日曜日のプログラムをほぼ入れ替えます。土曜日に口頭発表と懇親会,日曜日にシンポジウム・ワークショップ等を行ないます(ブース発表の曜日は決まり次第お知らせします)。研究発表の場のみならず,その直後に開かれる懇親会にも多数の会員が引き続き参加して議論を続けるとともに,交流を広める機会にしてほしいと思っています。(なお,今秋の北海道大学での大会は従来どおりで,研究発表は日曜日に行ないます。)

 

 その他に,すでに実施している事柄としては,以下のものが上げられます。

 

 『日本語の研究』の投稿原稿の分量を,論文・研究ノート・短信のそれぞれについて仕上がり紙面で2ページ分,従来よりも増やしました。投稿規定の文言も分かりやすくし,投稿がしやすい環境を整えました。

 

 また,『日本語の研究』掲載の論考は刊行の6か月後にCiNii(国立情報学研究所)に掲載していますが,それを無料で読めるようにしました。従来も大学などでは課金なしで読めていたことと思いますが,それはその所属機関が契約をしてお金を払っていたからです。それを完全無料とし,個人が自宅からでも自由にアクセスできるようにしました。以前から無料公開している『国語学』全文データベース(国立国語研究所)もそのまま継続します。これらを研究のために積極的に活用してください。

 

 情報発信の面では,ホームページを刷新し,会員への「一斉メール」も導入しました。また,海外会員へのサービスとして,刊行された『日本語の研究』の輸送手段を船から飛行機に変え,より早く手元に届くようにしました。

 

 二点目の「組織の風通しの良さ」については,今年度に実施予定の評議員選挙から推薦制を廃止し,会員が適任と考える人に自由に投票できるようにしました。これまでは推薦により予め候補者を絞っていましたが,それをやめることにしたものです。併せて,会計監査も,評議員会で選ぶやり方から,会員による選挙で独立に選ぶように変えました。これらによって会員の意思が直接反映される形になります。なお,学生会費を値下げしても,その選挙権には一切制限を設けておりません。

 

 すべての会員に開かれた学会です。会員のみなさまの主体的な参加を期待しております。

 

 以上,式辞としては異例の内容となったかもしれません。しかしながら,会員がこぞって切磋琢磨する活気に満ちた日本語学会に向かって一歩踏み出すこと,それこそが70周年の節目を真に意味あるものにすることであると申し上げて,私の御挨拶といたします。

 

 

日本語学会初代会長あいさつ

2004年1月1日

日本語学会初代会長  前田 富祺

 

 「国語学会」は,日本語研究の進展を願って,1944年に設立されました。日本語を研究対象とする研究者,および日本語に関心を抱く人々を会員として運営されています。

 

 本学会は,日本語研究の促進のために,さまざまな活動を行っていますが,その中心をなすものとして,学会誌の発行と,大会の開催とがあります。

 

 機関誌『国語学』は,この分野における最高の水準を示す学会誌として,国内はもとより,海外からも高い評価を受けてきました。研究の進展を促すために,二年ごとに学界の展望を行い,また折々に注目されるテーマを特集してきました。また,春秋2回の大会には講演会・シンポジウムなどのほか,研究発表会が毎回開かれ,活発な論議が行われています。その他,『国語学大辞典』『国語史資料集―図録と解説―』『国語学史資料集』『国語学の五十年』や『日本語研究文献目録 雑誌編[フロッピー版]』(国立国語研究所と共編)の刊行など,日本語研究の発展と普及のために努めています。

 

 本学会は,設立当初は,もっぱら日本国内の研究者の糾合を意図した学会でしたが,海外における日本語研究が盛んになったことにともない,世界における日本語研究の中心として,その役割を果たすことが期待されるようになりました。また,会員数も初めは500人に満たない程度でしたが,現在は2400人を超える会員を擁しています。その中には外国人の日本語研究者も多数います。

 

 今,世界では「言語」に学問的関心が集まっています。「言語」にこそ,人間の問題を,あるいは文化の問題を解く鍵があると考えられるからです。「日本語」は個別言語の一つとして,かなり長い研究の歴史を有していますが,それにも関わらず,解決されていない問題が山積しています。

 

 そのような状況をふまえ,国語学会は2004年1月1日をもって日本語学会に名称を変更することになりました。

 

 日本語の研究は,さらに多様な視点から推進されることが望まれます。そういう意味で,分野を問わず,一人でも多くの方々に,この学会の活動に関心をもっていただき,理解していただきたいと思う次第です。

 

 

国語学会から日本語学会へ

2004年1月1日

日本語学会初代会長  前田 富祺

 

 平成16年を迎えるとともに,国語学会は創立60周年となり,いよいよ日本語学会へと名前を改めることになった。この問題については,会員の間にも様々な意見があり,『国語学』の誌上フォーラム,大会シンポジウム,学会ホームページなど意見を求める場を作り,慎重に討議を重ね,理事会,評議員会の意見をまとめ,会員の投票の結果,改称が決まったのである。

 

 私自身は,東北大の国語学で学び,国語史研究を中心のテーマとして育ってきたが,国語学と日本語学とが並存する大阪大学に奉職し,国語学と日本語学との間で迷ってきたのである。国語学会代表理事在任中に逝去された徳川宗賢氏は早くから日本語学会への改称を主張しておられた。大学の同僚として,あるいは国語学会の理事としてこの問題について話し合うことが多かったが,どちらかと言えば私は消極的な意見を述べることが多かったように思う。

 

 大学の専攻名は,1992年度には国語学・国文学系が66%を越えていたのに, 2002年度には日本語学・日本文学系が72%を越えるに至ったという。この傾向は今後一層強まることであろう。日本語学を学んだ学生が日本語学会という名に親しみを感じ,国語学会という名に違和感を感ずるのは自然な成り行きであろう。 2003年には,日本に来た留学生の数が10万人を越えたという。外国人にとっては国語学会という名は親しみにくいものであろう。

 

 このような状況の中では,国語学会から日本語学会へという改称は自然の流れでもある。徳川宗賢氏の後を受けた山口佳紀前国語学会代表理事は,そのような流れを考え将来を見通して,先に述べたような手順を経て全体の意見をまとめ,日本語学会への改称を決めたのである。

 

 国語学会という名に愛着を感ずる人もいるだろう。しかし,日本語学,国語学と分れていては十分な力を発揮し得ない。 60と言えば人間では還暦の年である。学会も還暦を迎えて新しい気持で出発したい。両者を統合するならば日本語学会が良いという会員の判断を尊重し,従来積み上げてきた成果を継承しつつ,新しい名前で今後の発展を目指したいものである。なお,これに伴って,学会誌『国語学』の名前をどうするかということが現在検討されていることを付け加えておきたい。

 

 

国語学会の成立とその使命

 顧みれば,明治十三年,時の東京大学綜理加藤弘之は,当時漸く国家社会の問題として論議に上りつつあった国語問題の解決のために,博言学(後の言語学)研究の留学生を欧米に派遣することの急務であることを建言した。このことは,実に我が学界に西洋言語学の紹介せられ,延いては国語学の創始せられる端緒を作ったものであって,明治十九年には博言学科(明治三十三年言語学科と改む)が,同二十六年には国語学の講座が,それぞれ東京大学に創設せられた。明治二十七年上田万年博士帰朝せられて,東京大学に於いて博言学の講座を担任せられると同時に,始めて科学的体系を持った国語学の講義を講ぜられることとなった。これ実に我が国に於ける新国語学の発足というべきである。博士は一方に於いて国語問題解決のために奔走せられるとともに,明治三十八年以後に於いては,専ら国語学の講座を担当せられて,その建設発展に尽瘁せられた。実に国語学の誕生は,明治以後の国語問題に刺戟せられ,西洋言語学の理論問題方法に基いて組織せられるに至ったものであって,その後幾多の研究者によって継承開拓せられて今日の盛を見るに至ったものである。新しい文法体系の樹立,国語の系統並に歴史に関する研究,国語の方言に関する研究,音声に関する研究等は,明治以前には存在しなかったか,或は全然新しい言語学の理論に基いて研究せられた業績であって,更に外国文学者,外国語学者,心理学者,民族学者等の側からも有力な研究が現れるに至った。言語学が当面の急務である国語問題の解決に,果して有効適切な示唆と方法とを与えたかは暫く措くとしても,国語学が近代科学の体裁を組織するに至ったのは,全く言語学の賜物であったといわなければならない。

 

 しかしながら翻って思うに,国語の学問的研究は,明治以後に於いて突如として創められたものでなく,古く中世歌学の中に胚胎し,近世に至っては,国学の一分野として幾多不滅の業績を残しているのであって,明治以後各大学専門学校に於いて国語学の講ぜられる際にも,多くの場合,国文学科とともに一学科を構成するか,或は国文学科の中に於いて講ぜられるのが常であった。これは一面研究資料等を共通にする便宜から来ることではあろうが,実は我が国語研究の歌学或は国学に依存した古い伝統の然らしめるところと云わなければならない。しかしながらこのことは,同時に国語学の発展の上に,ある制約を齎し,或は国語学の性格に一の先入観を植えつけることがなかったということは出来ない。かくして今日の国語学は,その性格に於いて,その成立の歴史に於いて,種々なる要素を包含するものであって,今に於いて国語学と国語問題との関係,国語学と言語学との関係,国語学と国文学或は国学との関係等について吟味検討し,国語学のあるべき位置を定めることは,将来国語学の自律的発展を企図する上に極めて重要なことと考えられるのである。

 

 更に又,多岐多端に亙る今日の国語研究の分野を見るに,各研究者は自己の専門領域に立て篭って,相互に充分の交渉連絡なく,互に相扶け,互に啓発する機会に恵まれることが甚だ少かった。相互の聯繋を密にし,学界の総力を合せて国語学の進展を図ろうとすることは,学界多年の要望であって,しかも今日までこれを実現し得なかったことである。

 

 又翻って思うのに,今日に於いて国語のあらゆる実践部面は,国家社会生活の進展に伴い,益々その重要性を増し,国語学のこれに対する関与の要請せられることは昔日の比ではない。過去に於いては,国語学は僅かに和歌文章の制作か一古典解釈の基礎として関心を持たれたに過ぎなかったが,今日に於いては,かかる文芸的言語や古典的言語に止まらず,あらゆる国語の実践部面が,解決を要する多くの問題を提供していることを思わねばならない。国語問題,国語行政,国語教育,更に一般社会及び家庭に於ける国語の醇化,教養,躾の問題,又外国語としての日本語の教授法等の問題を含めて,将来の国語学は,これら実践の諸部面に対して,無限の研究課題を負うていると云ってよいのである。国語学はこれら実践部面に確固たる理論を供給せねばならないと同時に,又これら実践部面に対する関心と省察とによって,国語学の学問的領域を拡大し,その体系を創造して行かねばならない。我々は,過去に於いて国語学が受けた言語学の恩恵と,国学の一部として残された多くの業績を思うと同時に,それを乗り越えて,明日の国語学の創造と発展とを企図しなければならないのである。

 

 かく国語学の直面しつつある新しい事態と,これに呼応する国語学の最近に於ける革新的機運とによって,強力な全国的国語学会の結成の必要が痛感せられるに至り,ここに国語学会の成立を見るに至ったことは,学界はもとより我が国文化のために慶賀すべきことであると云わなければならない。本学会は,その成立の事情より見ても明かなように,一学派の研究機関ではなくして,あらゆる学派学風の綜合的研究団体であり,学者,実際家の共同の研究機関である。従って,一部学派の主義主張を貫徹することを目的とするものではないが,さりとて学問的方法と,国語の実践部面に対する主張に於いて妥協を求め,学会の真の生命である厳正な批判的精神を忘却するものではない。

 

 ここに国語学の現状と,その将来についての抱負を述べ,国語学会結成の真意を明かにして,江湖の御指導と御支援とを冀う次第である。

 

追記

 本稿は,昭和十九年春,国語学会成立当時,橋本進吉博士の命により,発起人会の席上,博士が述べられた国語学会設立趣意書に基いて,時枝誠記が起草し,二三発起人の立会のもとに加筆訂正を加えて,一応の決定を見たものである。直に機関雑誌に掲載する予定のところ,雑誌刊行のことが遅延したため今日に至ったのであるが,橋本会長逝去せられた今日,これを公にするについては,今一度,評議員会の議を経ることが適当と考えたのであるが,仮に成立当時の記録としてそのままこれを公にして,広く学会一般の批判に委ねることとした。なお,今日より見て不適当と思われる二三の字句を訂正することとした(時枝)。

※『国語学』第1輯(昭和23年10月30日発行)より

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