日本語学会論文賞

 

2018年度日本語学会論文賞

 

菊地恵太氏

「畳用符号を利用した略字体の成立と展開」(『日本語の研究』第14巻2号,2018年4月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は、「䜛」「棗」「澁」「綴」などの畳用符号「〻」の類を用いた略字体について、その使用状況の変遷を明らかにしたものである。中国由来の字体の継承を経て、同一構成要素3 つ乃至4 つの字体を畳用符号で省略する方法が室町中期頃より現れ、室町後期以降、同様の省略法を用いる字種が広く見られるようになること、同一構成要素2 つの字種でも「〻」を用いて省画する方法が「棗」「皺」等の字種にも拡大することを文献調査によって明らかにし、そうした略字体の生成過程・使用の変遷に「分析的傾向」が見出せることを指摘する。 漢字の構成要素に代わる畳用符号という、日本語を表記する漢字の字体研究において従来詳しくは扱われてこなかった事象について、中国側の先行研究も利用しながら、辞書にとどまらず各種の一次資料を対象とした丁寧な調査によって、成立と展開の過程の再構築を図り、その実状を鮮明に提示している。個々の現象に説明や検証を加えつつ分析・考察が綿密になされており行論も説得的である。こうした日本的と考えられる字体の成立や展開に対して、日本語の時代区分に関わる「分析的傾向」の一種と捉える見方は、字体研究に新たな観点を導入するものといえる。このように字体の変遷の歴史を実証的に解明する堅実な調査研究であり、略字体に限らず他の字体の変化や日本化に関する研究への発展性を有し、日本語表記の研究における応用も期待できる。

 以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 


 

竹村明日香氏・宇野和氏・池田來未氏

「謡伝書における五十音図―発音注記に着目して―」(『日本語の研究』第14巻4号。2018年12月)

 

〔授賞理由〕

 謡に関する秘伝書の類には、伝承音としての仮名の発音を、五十音図を利用して説明したものがある。本論文は、これら謡伝書の五十音図と発音注記の全体像に迫ろうとする労作である。先ず、伝書の悉皆的調査により、発音注記が二つの系統に大別されることを明らかにしている。一つは悉曇学の三内説に拠り、行を「口喉舌唇」、段を「上音/中音/下音」の対立で捉える、伝統的なもの。いま一つは、室町後期以降に権威のあった『塵芥抄』の系統の伝書にみられる、行を「喉舌歯腮鼻唇」、段を「ひらく/ほそむ/すぼむ」の対立で捉えるもの。後者は開口度、舌の位置、円唇性の有無等を用いて、謡における仮名の発音のバリエーションを行・段で系統立てて示そうとしているという。後に四つ仮名の説明等に援用される調音点「あぎと(顎・腮)」も、謡伝書の揺籃期に悉曇学からいち早く摂取しており、近世の仮名遣書等に影響を与えた可能性も指摘する。

 これらの伝書は、難解な能楽理論を説く世阿弥らのものに比して内容が平易で、具体的な発音や所作に関する技術指導的な色合いが濃く、近世まで広く流布していたという。謡を嗜む人々の間でこうした日本語音声の把握が共有されていたとすれば、学史的に重要な意味を持つだろう。興味深い新知見を膨大な資料群を精査して実証的に導きだし、今後の発展も大いに期待される好論である。

 以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2019年4月15日掲載)

2017年度日本語学会論文賞

 

服部紀子氏

「江戸期蘭語学における日本語の格理解―『六格前篇』と『和蘭語法解』を比較して―」(『日本語の研究』第13巻1号、2017年1月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は、日本人蘭学者による二種類の蘭文典、吉雄俊蔵『六格前篇』と藤林普山『和蘭語法解』における、日本語の格の理解について分析したものである。両書に共通しているのは、「格」をオランダ語に限らず言語に普遍的な文法範疇と捉えた点で、そのために日本語の格についても言及されることになるのだが、格標示形式については両書で見解の相違があり、『六格前篇』では助詞を中心とした機能語の類を考えているのに対し、『和蘭語法解』では名詞句、即ち「名詞+助詞/なるもの」をその単位と捉えている、とする。この分析を通じて、蘭文典が日本語文法研究史にとっても重要な叙述を含むことが明らかにされている。また、『六格前篇』が、格標示の一形式として、本居宣長『詞の玉緒』の「徒」を独自の修正を加えながら援用していることについても、考察が加えられている。

 従来、日本語文法研究史と蘭語学との関係については、鶴峯戊申『語学新書』をはじめとした国学者の研究への蘭語学の影響を中心に考究されてきており、蘭語学者が国学における文法研究の成果をどのように受容していたかについての視点は不十分であった。本論文はそこに光を当てた点で、大いに新規性が認められるとともに、国学と蘭学との双方向的な影響関係を踏まえた日本語学史記述に向けて、今後一層の発展が期待される論考でもある。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2018年3月21日掲載)

2016年度日本語学会論文賞

 

辻本桜介氏

「主節主体の動きを表す動詞終止形に接続するトテについて―引用と異なる機能の分析―」(『日本語の研究』第12巻2号、2016年4月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は、中古語の「特殊用法のトテ」を考察したものである。一般にトテ節は引用を表す(「~と言ひて/思ひて」の意)とされてきたが、「大殿籠るとて、右近を御脚まゐりに召す」のように「~にあたって/際して」の意で解される例がある。本論文はこれを「特殊用法のトテ」と呼び、(1)主節主体の動きを表す動詞終止形に後接する(引用のトテは後接しない。また中古の地の文に動詞終止形はあまり現れない)、(2)尊敬語動詞が現れる(引用のトテにはほぼ現れない。また中古に自敬表現の例は少ない)ことから、特殊用法のトテが引用のトテとは異なり、通常の文末表現を受けるものでないと指摘する。そして、(3)文主体が有情物に限られ、トテ節の動詞が意志動詞に偏る、(4)トテ節の句が動詞とせいぜい1つか2つの成分からなる単純な構造である、(5)前件(トテ節)事態と後件(主節)事態が空間的・時間的に近接して同一場面を表し、かつ前件事態の完遂時が後件事態の後である、という特徴から、特殊用法のトテは「後件時において主体がどのような動作に向かって進んでいるかを大まかに示す」と結論づける。

 新規性のある問題に取り組み、実例に基づく堅実な分析を行い、特殊な専門用語に寄りかからず明快な文章で論述した点が特に評価できる。特殊用法のトテを引用のトテから区別する方法は巧みであり、結論も興味深い。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。


 

久保薗愛氏

「鹿児島方言における過去否定形式の歴史」(『日本語の研究』第12巻4号、2016年10月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は、鹿児島方言における過去否定形式の歴史を、方言学的日本語史の方法によって明らかにしたものである。18世紀前半の鹿児島方言を反映するロシア資料には、過去否定を表す「ヂャッタ」という形式が認められる。一方、同方言の19世紀半ばの状態を伝える西郷隆盛の義妹の談話資料には「ンジャッタ」「ンヤッタ」の形式が見られ、さらに、現代の方言地図ではそれらの形式が九州各地に一定の領域を持っている。これらの形式の歴史的変遷、および、地理的展開の様相をもとに、鹿児島方言では近世半ば以降、「ヂャッタ」から否定と過去をより分析的に表現する「ン・ジャッタ」等への変化があったことを主張する。また、ロシア資料の表記に使用されるキリル文字の音価と日本語表記の様相を分析し、これらの形式の語源は、従来言われているような「ざり+た」ではなく、否定の接続助詞「で」に「あった」が加わったものであると結論づける。

 地方語史の構築には地方語文献の調査が欠かせないが、本論文は18世紀ロシア資料という特異な文献を慎重に扱うことで有益な結論を導いている。また、早い時代の方言談話資料も駆使することで論の実証性に厚みを持たせてもおり、全体として、地方語史研究の新たな可能性を切り拓いた労作として高く評価される。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2017年4月28日掲載)

2015年度日本語学会論文賞

 

坂井美日氏

「上方語における準体の歴史的変化」(『日本語の研究』第11巻3号、2015年7月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は、上方語におけるゼロ準体から準体助詞準体(以下、「ノ準体」)への変化を論じたものである。ノ準体は中世末から散見されるが、約200年間「の」の付加率は上昇せず、その間、人や物などの形状物を指す「形状タイプ」と事柄や作用を指す「事柄タイプ」の要素に有意差はない。形状タイプは明和-安永期から寛政-文化期の間にゼロ準体からノ準体への移行を進展させ、事柄タイプはそれに続く文政-天保期から大正期にかけて移行を進展させている。この結果から、当初「の」がモノ・ヒト代名詞であったとする説は採りがたく、「の」は当初から特定の指示対象を持たない文法要素であったと考えられ、ノ準体の「の」の起原は、「属格句+「の」」における「の」だと考えるべきであると述べる。さらに、項位置におけるゼロ準体からノ準体への変化の直接要因は、連体形と終止形の同形化であるとは考えがたく、他方言の要素も視野に入れると、形状タイプの構造変化を契機とするという仮説が立てうる、と論じる。

 従来決め手を欠いていた、日本語史上の大きな変化に取り組んだ意欲的な論考であり、問題点の整理、方法論の提示、また、論の進め方が明快で、高い説得力がある。さらに、主として近世~大正期の上方語を精査するという、ややミクロな時代区分に絞って考察した点に新規性があり、将来性も感じられる。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。


 

堀川宗一郎氏

「鎌倉時代における仮名文書の「とん」―固定的連綿―」(『日本語の研究』第11巻4号、2015年10月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は、従来、音節モ・撥音・促音と多対一対応しているようにみえた[ん]という表記形態について、実用文書である鎌倉遺文の文書史料を電子テクストと原文双方を用いて精査する、という方法によって、音節モに対応する[ん]は[とん]という「固定的連綿」に限られていることを、実証的に示そうとしたものである。まず、従来指摘されていた[とん]がトンという撥音形を示した可能性の低いことを、鎌倉遺文の片仮名文書に、「トモ」の例は多数あっても、「トン」の表記例が無いことを引き合いに、説明する。そして、原典確認の結果、[とも]は連綿・非連綿両方があるが、[とん]は全て連綿表記であり、かつ、必ずしも語や文節などの意味の単位とは対応していないことを確認し、[とん]が、決まった文字連続において必ず連綿表記される「固定的連綿」であると述べる。さらに、このような固定的連綿表示には、[とん]の外にも[なん][はん]が見られることも指摘している。

 本論文は、書記史研究の点から、結論自体に、特段の斬新性があるとまでは言えないが、鎌倉遺文という文書史料を網羅的記述的に扱った、周到な調査に基づく結論は、従来の研究を確実に一歩進めたものとして、評価されるべきものであり、斯界での今後の研究発展が期待される。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2016年5月10日掲載)

2014年度日本語学会論文賞

 

岡田一祐氏

「明治検定期読本における平仮名字体」(『日本語の研究』第10巻4号,2014年10月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は,教科書検定期(1886~1903年)の前後における,尋常小学校読書科用教科書(読本)の平仮名字体の整理について,その見本として刊行された文部省の『読書入門』(86年),『尋常小学読本』(87年)の方針が,どのように継承されていたのかを明らかにしたものである。具体的には,1874年から1900年までの読本110点を調査すると,検定期以前は,異体仮名ありの教科書が通常であったのに対して,検定期に入るとすぐに,異体仮名なしが異体仮名ありを上回って,以後,異体仮名なしが通常となるという結果が得られ,これにより,上記両書の字体習得の二段階のうち,「まず読み書きできるようになるべき字体」という方針に基づいて標準化が行われていったことが裏書きされる,とする。

 法令等に基づかずに,見本となる方針を自発的に踏襲したかたちの,読本における平仮名字体の整理という事象を,詳細な調査の結果として提示し得たことには,十分な新規性が認められ,豊富な資料に基づく調査結果とそれを根拠にした論述は,高い説得力を有する。また,明文化された基準は存在しないが見本はあるという場合に,どのような動態が観察されるかという問題は,国語政策の問題のみならず,自然言語の変化についても興味深いテーマであり,今後の発展性も認められる。以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。


 

富岡宏太氏

「中古和文における体言下接の終助詞カナ・ヤ」(『日本語の研究』第10巻4号,2014年10月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は,中古和文における詠嘆の終助詞カナ・ヤが体言に下接する場合(以下,体言カナ・体言ヤ)について,両形の表現性の違い,ならびに表現性と構文との関係を考察したものである。具体的には,体言カナは,話し手・聞き手の関係性において,聞き手の敬語的属性を問わないという性質があることを示す(逆に,体言ヤは聞き手が上位者の場合には使えない)。また,体言カナはその叙述内容にはテンスの制約がなく,広く過去・現在・未来の事態を叙述できるという性格も有するとする(それに対して体言ヤの叙述はほぼ現在に限られる)。そして,それらの記述から,体言カナは,いわゆる詠嘆的表現の中ではむしろ一般の叙述に近い,表現の自由度の高さを持つ,いわば「論理的な」評価を示し,それに対して体言ヤは,詠嘆のプロトタイプとも言える,現場即応的あるいは「直感的な」評価を担っていると見なされるという主張を行っている。

 「詠嘆」的表現に関しては,俳諧の「切れ字」,山田文法の「喚体」等から始まり長い研究史があるが,カナ・ヤについて,このような性格の差がありうることを示したのは本研究が初めてであり,その点で,極めて新規性の高い研究と言える。テキストを丹念に読み解きつつ提示する論理の展開にも十分な妥当性がある。まださらに検討すべき点もいくつか残されてはいるが,同様の手法を他の語形・要素に適用してさらに方法論上の妥当性を検証し得るという発展性もある。以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2015年4月28日掲載)

2013年度日本語学会論文賞

 

小西いずみ氏,井上優氏

「富山県呉西地方における尊敬形「~テヤ」―意味・構造の地域差と成立・変化過程―」(『日本語の研究』第9巻3号,2013年7月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は,富山県呉西地方における,動詞尊敬形「~テヤ」が,南部の井波では継続相を表し,北部の高岡では非継続相を表す,というところから出発して,形態論的特徴ならびにアクセントを根拠として,共時的に,井波の「~テヤ」は「~テ+助動詞」と解釈できるのに対して,高岡の「~テヤ」は全体として一つの接尾辞であると解釈しうることを論じ,さらに,井波の南部,五箇山には,「~テ+存在動詞アル」に由来する継続相尊敬形「~テヤル」が存在することに基づいて,井波の「~テヤ」は五箇山の変化形,高岡の「~テヤ」は,さらにその変化形であることを主張したものである。さらに,このような呉西地方の「~テヤ」形の展開は,上方語および西日本方言における「テ敬語」の成立についても示唆するところがあることを併せ述べている。

 方言動詞の尊敬形の展開について,モデルとなりうるフィールドを具体的に見出して設定したことには十分な新規性が認められ,着実な調査と分析に基づいた論述には高い説得力が存する。また,方言における変化として一般性の認められる継続相から非継続相へのアスペクト性の変化,「~テ敬語」の成立・展開を考えるうえでも,今後波及するところは大きいと考えられる。以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。


 

平子達也氏

「平安時代京都方言における下降調に関する試論―観智院本『類聚名義抄』に見られる平声軽点の粗雑な写しを手がかりにして―」(『日本語の研究』第9巻1号,2013年1月)

 

〔授賞理由〕

 本論文は,観智院本『類聚名義抄』に観察される,平声軽点の「粗雑な写し」と見られるものを確定したのち,同じ下降調に現れかたの異なる二類が存在することを明らかにしたものである。具体的には,種々の根拠から,従来,下降調として再建されている形容詞終止形接辞「シ」が,観智院本では平声と上声に差声されていることに基づいて,このうちの平声点を,平声軽を粗雑に写したものとして捉え直し,それと二音節名詞5類の第二音節に差される声点を比較して,形容詞終止形接辞「シ」のほうが,より下降調で現れやすかったことを論じて,その根拠を述べ,さらに,以上のような分析が,従来から議論のあった,日本語アクセント史上の[HF]型の存否について,一定の寄与をなしうることを示唆したものである。

 従来,観智院本『類聚名義抄』における「誤写」として捉えられてきたものを,積極的に新しい視点から捉え直し,さらに,同じ下降調として再建される形容詞終止形接辞「シ」と二音節名詞5類とを対比させて,その差異を指摘したことには,高い新規性が認められ,また,論述も着実で説得力がある。さらに,今後,日本語アクセント史にも寄与しうる,十分な発展性も認められる。以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2014年9月11日掲載)

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