日本語学会論文賞

 

2023年度日本語学会論文賞

 

陶天龍氏
宮古語久松方言の活用パターンによる動詞分類―不規則動詞を中心に―」(『日本語の研究』第19巻2号,2023年8月)

 

〔授賞理由〕

本論文は,論者自身による調査データにもとづいて,宮古語久松方言の動詞の活用形の構造を分析し,規則動詞が満たすべき条件と不規則動詞の認定基準を明らかにしたものである。これまでの宮古語諸方言の研究では,規則動詞として母音語幹動詞と子音語幹動詞の2種類を認める点ではおおよそ一致していたが,活用形の構造分析の方法や,規則動詞・不規則動詞の認定基準が論者によって異なっていた。本論文ではそうした先行研究の蓄積と問題点をふまえ,まず,動詞活用形を構成する要素を明確に定義したうえで,動詞活用形の構造を「[[①非拡張語幹(-②拡張語幹)](+③形態音韻規則)]-④屈折接辞」と分析し,①~④それぞれの種類をリストアップした。そして,規則動詞が満たすべき条件群を明確にし,その条件のいずれかから外れる動詞を不規則動詞と認定した。対象とする方言の言語事実をふまえながら,活用形の構造やその要素である「語幹」「屈折接辞」などを厳密に定義し,規則動詞の条件や不規則動詞の認定基準を示していく論の展開はあざやかであり,その主張には説得力がある。本論文の枠組みは,宮古語諸方言だけでなく他の琉球諸語にも適用しうるものであり,形態論が軽視されがちな日本語諸方言の記述的研究においても模範となりうる。本論文の枠組みにもとづく記述が蓄積されれば,日琉諸語の歴史言語学的研究に対し,動詞活用という側面から新たな材料を提供することもできるだろう。
以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞論文としてふさわしいものと判定した。

 


 

三宅俊浩氏
「デ+カナフ否定」型当為表現の歴史」(『日本語の研究』第19巻2号,2023年8月)

 

〔授賞理由〕

本論文は,二重否定型当為表現デハカナフマジの成立とその後のイデ(ハ)カナハズへの変化を考察したものである。中世前期に出現したデハカナフマジは当初,デハ(否定条件)とカナフマジ(不可能)が隣接するだけで,文型を「XハYデハ+カナフマジ」と示せば「目的Xは,Yしないという条件下では,必ず非現実に至る(実現できない)」という〈条件+不可能〉の意だった。しかし,ここから語用論的に「目的Xの実現には,Yすることが必要だ」という〈必要条件〉の意が導き出され,「XハYデハカナフマジ」のようにデハカナフマジは複合辞化した。さらに目的Xのない「Yデハカナフマジ」で〈非条件的必要〉の意も生じた。その後,中世後期になるとイデハカナハズという形式に移っていく一方で,イデカナハズという形態短縮現象も起こった。複合辞性低の目安である構成要素の交替(デハ→イデハ,マジ→ズ)と,複合辞性高の目安である形態短縮(ハ脱落)が同時期に起こっているのは,複合辞化が漸次進行したことの反映と解釈される。また,意味の面でも新たに「不可避的に事態Yが生じる」という〈必然〉の意を表すようになり,さらに拡張した。
日本語文法史上最初の二重否定型当為表現デハカナフマジを取り上げ,その変化を詳細に記述した好論と評される。用例を丁寧に分析し,意味変化,統語変化,形態変化の複数の観点から内容の濃い考察を行っている。近年さかんな複合辞研究に資するところも大きく,二重否定型当為表現が出現したこと自体の歴史的な意義など,今後の探究の可能性も感じられる。
以上のことから,本論文を日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2024年6月3日掲載)

 

2022年度日本語学会論文賞

 

占部由子氏
琉球諸語における形容詞重複形の通方言的比較―修飾と叙述に着目して―」(『日本語の研究』第18巻1号,2022年4月)

 

〔授賞理由〕

本論文は,琉球諸語の19地点の方言を対象として,形容詞重複形の使用の有無,その担う用法を,サアリ型・クアリ型の活用型形容詞が担う用法にも留意しつつ,類型化したものである。琉球諸語の,「ものの性質や特性を表す意味タイプ」をもつ語を形容詞とし,その語基の重複形が各方言において担う用法を動詞修飾,名詞修飾,叙述の3つに分けて分析することによって,①各方言の形容詞重複形は,3つの用法すべてが観察される方言から重複形が使用されない方言まで,多様であること,②3つの用法の間には,動詞修飾>名詞修飾>叙述の順に重複形が用いられやすいという階層(含意スケール)が見出されること,などを明らかにしている。また,この階層が成り立つ背景には,琉球諸語の多くの方言では形容詞連用形は「高く飛ぶ」のような動詞修飾に使えないこと(この空間を重複形が埋めていること)や,動詞修飾には重複形がそのまま使用できるが名詞修飾には属格の介在が必要であること,重複形単独では叙述に求められる機能を担えないこと,などがあることを指摘している。上代日本語においても形容詞重複形の基本機能は動詞修飾であり,機能を拡張させるには別に形態的操作が求められたことなどの関連事象にも目配りがなされている。以上のように,本論文は,自身の研究を含む琉球諸語の記述的研究の成果を踏まえてなされた類型論的研究である。研究目的は明確であり,論の構成や展開もわかりやすい。分析も手堅くなされており,今後の形容詞の研究の発展に寄与するものと判断される。
以上より,本論文を,日本語学会論文賞の授賞論文としてふさわしいものと判定した。

 


 

大江元貴氏
「嘲り文」の構造と名詞独立語文体系における位置」(『日本語の研究』第18巻1号,2022年4月)

 

〔授賞理由〕

日本語の名詞独立語文の中に「嘲り」の言語行動と結びついた「嘲り文」という文類型が存在することを明快かつ説得的に論じた研究である。名詞独立語文に「悪態文」「ほめあげ文」といった言語行動と結びついた類型が存在することは笹井香氏の一連の研究で指摘されているが,本研究では,「ばか。」「よわむし。」のような悪態文が「表出文」であるのに対し,「ばー か」「よわむしー 」,「やー い,ばか。」「やー い,よわむし。」のような嘲り文は「よっ,節約上手。」「おーい,高橋。」のようなほめあげ文や呼びかけ文と同じく「働きかけ文」であることが明らかにされている。また,表出文が名詞を発話すれば成立するのと異なり,働きかけ文は特定の韻律や感動詞などがないと成立しないことについて,「日本語における働きかけ文の有標性」という類型論的な観点から説明を行っている。音調・共起形式・使用場面に関するきめ細かな観察に基づく手堅い分析は,名詞独立語文の研究の一つの手本と言えるものである。「独立語文がどのような言語行動として実現するかは,語の性質や談話場の性質によってのみ決まるのではなく,文の構造に支えられている側面が大きい」という指摘も,これからの名詞独立語文の研究に明確な指針を与えるものである。 以上より,本論文を,日本語学会論文賞の授賞論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2023年5月12日掲載)

2021年度日本語学会論文賞

 

北﨑勇帆氏
中世・近世における従属節末の意志形式の生起」(『日本語の研究』第17巻2号,2021年8月)

 

〔授賞理由〕

本論文は,従属節末に生起する意志の形式について,歴史的観点から考察したものである。従来は,意志・推量を区別することなく扱われてきたが,現代語で推量は適格(「暑かろうから」)であるのに対し,意志は不適格(「*食べようから」)であることから,両者を区別して観察することには十分な意義が認められる。
まず,『日本語歴史コーパス』を対象とした調査により,「が」「ほどに」「から」「けれども」「し」の各従属節に,意志の「う」が生起することが示された。さらに,異時代間の資料対照という方法により,中世後期においては「う」を用いることは一般的であったが,近世に至るとこの領域に基本形が侵出し,近世後期以降,基本形が優勢になるという歴史的変化が見出された。意志に「う」,推量に「だろう」という分担が進む背景に,基本形が「非現実」の領域に侵出するという事実があり,基本形との張り合い関係の中で,意志の「う」が主節末専用になったという歴史的経緯が,高い説得力をもって示された。
このように,本論文は,複文における従属節全体を視野に入れ,近代語以降の体系的な変化を描いたスケールの大きな好論文である。調査データに基づいた論証過程は明快であり,示された結論も蓋然性が高い。日本語文法研究に与える波及効果は大きく,今後のさらなる発展性も認められる。以上より,本論文を,日本語学会論文賞の授賞論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2022年5月9日掲載)

2020年度日本語学会論文賞

 

大川孔明氏
文連接法から見た平安鎌倉時代の文学作品の文体類型」(『日本語の研究』第16巻2号,2020年8月)

 

〔授賞理由〕

平安鎌倉時代の作品について,文連接法を指標として例を調査し,クラスター分析を用いて,それらがどのような文体類型に位置づけられるかを考察した労作である。
日本語の文体を位置づける要素は多岐にわたるが,これまで古代語では和文特有語・漢文訓読特有語に代表されるように語彙による検討が多く行われてきた。文連接による考察もいくらか見られるが,対象作品・調査量,また文連接法の種類といった点に問題があった。そこで,本論では大量のデータであるコーパスを用いて用例を集め,計量的な分析で精確に明らかにしている。また,指標とした文連接法の種類(①接続詞,②指示詞,③接続助詞,④無形式)の選択も適切である。
結果,本論は文連接法から見た平安鎌倉時代の作品の文体を以下の3類型に分ける(ただし,同一の類型に含まれる作品が全く同じ傾向を持つわけではない)。
〇クラスターA:無形式型
『蜻蛉日記』『落窪物語』『和泉式部日記』『紫式部日記』『今昔物語集②』『徒然草』『十訓抄』『海道記』『建礼門院右京大夫集』『十六夜日記』『とはずがたり』
〇クラスターB:接続詞指示詞型
『土佐日記』『大鏡』『今昔物語集①』『宇治拾遺物語』『方丈記』『東関紀行』
〇クラスターC:接続助詞型
『竹取物語』『伊勢物語』『大和物語』『平中物語』『枕草子』『源氏物語』『更級日記』『堤中納言物語』『讃岐典侍日記』
そして,接続助詞型には和文体が対応すること,接続詞指示詞型には漢文訓読文寄りの文体が対応することから,和漢の対立が文連接法においても存在することを指摘している。本論の述べる,「和文らしさ」は接続助詞を多用することであるといった指摘は納得できるところであり,さらに様々な指標から調査・分析すればどうなるか等,発展性のあるテーマである。今後の進展が期待される好論文である。
以上から,本論文を日本語学会論文賞の授賞論文としてふさわしいものと判定した。

 


 

松本昂大氏
中古和文における移動動詞の経路,移動領域の標示」(『日本語の研究』第16巻3号,2020年12月)

 

〔授賞理由〕

本論文は,中古和文における移動動詞の格標示に注目することにより,移動動詞の分類と場所格表示のあり方について論じたものである。
本論文では,古今和歌集・土佐日記など16の中古和文作品における「歩く」「行く」「通る」など,14種の動詞の表す移動表現について,国立国語研究所『日本語歴史コーパス』(2019)で用例を収集し,「移動の行われる場所」に注目して分析を行う。
その結果,これらの表す移動表現は,「移動の完了後に,移動が行われた場所とは別の場所へ移動したことが明示,含意」される移動と,「別の場所への移動が明示,含意されない」移動とに分けられること,前者の移動が行われる場所(経路)は主として「を」格が標示を担い,後者の移動が行われる場所(移動領域)は,主として「に」格が標示に用いられること,移動動詞は,「駆ける」「漂ふ」など移動領域のみ承けるタイプと,「通る」「越ゆ」「行く」など経路のみ承けるタイプ,「歩く」「走る」など移動領域と経路の両方を承ける3つのタイプに分けられること,経路のみを承ける動詞はさらに「通る」「越ゆ」のように経路を必須補語とする動詞と,「行く」「上がる」など経路を明示・含意させる必要のない動詞とに二分できること,中古の段階では,移動領域のみ承けるタイプと移動領域・経路の両方を承けるタイプでは「を」格を承ける例がないこと,「に」格が担っていた移動領域の格表示が次第に「を」格に変わっていくことなどを,詳細な分析により明らかにした。これらは,いずれも日本語文法史において注目すべき指摘である。
また,本論文は,移動動詞の認定に際して,宮島ほか『日本古典対照分類語彙表』(2014)の意味分類に従って,調査対象を抽出するなど,著者の恣意的な選択を避けて,追跡可能な手順を採用している点も注目される。明らかな差違のある分析結果を採用することも含めて,根拠の明瞭性の点でも優れていると評価できる。
以上から,本論文を日本語学会論文賞の授賞論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2021年3月26日掲載)

2019年度日本語学会論文賞

 

松倉昂平氏

福井県北潟方言の後部3拍複合名詞のアクセント ―「式保存」が成り立たない共時的・通時的背景―」(『日本語の研究』第15巻2号,2019年8月)

 

〔授賞理由〕

日本語本土方言において,アクセント類型論上「三型アクセント」と呼ばれる体系は,島根県隠岐諸島と福井県沿岸部の2地域にのみ報告されている。本論文は,福井県の三型アクセントの記述の一環として,あわら市北潟方言の複合名詞アクセント規則の分析を試みたものであり,また同時に,中央語アクセント(中世~近世期の京都アクセントや高知市方言の「中央式アクセント」)との比較を通じて,中央語アクセント史に対する福井県の三型アクセントの系統上の位置付けとその通時的な成立過程を示したものである。
著者は北潟アクセントの体系記述ともに複合名詞アクセントの規則性(式保存)に関して詳細に吟味した後,北潟方言の式保存の例外(「前部要素C型→複合語B型」)が,高知市方言の複合名詞に見られる式保存の例外パターン「前部要素低起式→複合語高起式」と規則的に対応することを見いだし,両者の通時的な由来は室町期の中央語に生じた「体系変化」に求められると結論づけた。また,類型的観点からは,N型アクセントの一般特性として検討課題であった複合語アクセントの規則性に関して福井三型アクセントのあり方を明示した。加えて,通時的な観点からは,北潟の三型アクセントが中央語アクセントとの密接な系統関係がある北潟アクセントの成立過程を明示し,複合語における共時的音調分布の不均衡の背後にある歴史的要因を鮮やかに解き明かすことに成功している。
以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 


 

藤田拓海氏

『新撰字鏡』中の『切韻』について」(『日本語の研究』第15巻1号,2019年4月)

 

〔授賞理由〕

『新撰字鏡』所引の『切韻』は長孫訥言『切韻』に依拠するとした通説の問題点を洗い出し,その解決策を提示した労作である。下平声部分の異質性を指摘した先行研究の所説を丹念に実証し,そこは『唐韻』系の韻書である可能性を説く。発展性のあるテーマであり,今後の進展が期待される好論文である。
その成果と今後の発展性は,次の三点に集約できる。第一に,反切の典拠の探索の方法論として,『切韻』系韻書の上平声・下平声・上声・去声・入声の分巻,韻目順および分韻(歌韻と戈韻)を踏まえた分析方法を詳細に示したこと。第二に,『切韻』系韻書に不一致の反切・釈義について,誤った引用すなわち「誤引」を証明するために推定復元した陸法言『切韻』を土台として分析する方法を具体的に示したこと。第三に,去声と入声の四十四葉を残すに過ぎない『唐韻』について,下平声部分の『唐韻』逸文を大量に発見し,他の『切韻』系韻書の残巻諸本ならびに『切韻』逸文との比較検討を可能としたこと。以上の三点は,『新撰字鏡』中の『切韻』の研究として大きな成果となっているが,そればかりでなく他の日本古辞書の研究に応用可能な方法論の提示となっている。特に「誤引」の分析は,日本の古辞書音義および訓点資料等に引用された反切が中国側の反切なのか,日本化した反切なのかを弁別するひとつの方法を提示したものとして,日本漢字音史研究に与える影響も少なくない。
近年は,東アジアの漢字漢文資料という枠組みの中で,日本文学,日本史学,仏教学,中国学等の観点からの成果が多く出ており,本論文は日本語学にとどまらない射程を持つ。漢語音韻学の専門知を踏まえた論の運びの老練さも特筆される。
以上から,本論文を日本語学会論文賞の授賞論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2020年4月21日掲載)

2018年度日本語学会論文賞

 

菊地恵太氏

畳用符号を利用した略字体の成立と展開」(『日本語の研究』第14巻2号,2018年4月)

 

〔授賞理由〕

本論文は、「䜛」「棗」「澁」「綴」などの畳用符号「〻」の類を用いた略字体について、その使用状況の変遷を明らかにしたものである。中国由来の字体の継承を経て、同一構成要素3 つ乃至4 つの字体を畳用符号で省略する方法が室町中期頃より現れ、室町後期以降、同様の省略法を用いる字種が広く見られるようになること、同一構成要素2 つの字種でも「〻」を用いて省画する方法が「棗」「皺」等の字種にも拡大することを文献調査によって明らかにし、そうした略字体の生成過程・使用の変遷に「分析的傾向」が見出せることを指摘する。 漢字の構成要素に代わる畳用符号という、日本語を表記する漢字の字体研究において従来詳しくは扱われてこなかった事象について、中国側の先行研究も利用しながら、辞書にとどまらず各種の一次資料を対象とした丁寧な調査によって、成立と展開の過程の再構築を図り、その実状を鮮明に提示している。個々の現象に説明や検証を加えつつ分析・考察が綿密になされており行論も説得的である。こうした日本的と考えられる字体の成立や展開に対して、日本語の時代区分に関わる「分析的傾向」の一種と捉える見方は、字体研究に新たな観点を導入するものといえる。このように字体の変遷の歴史を実証的に解明する堅実な調査研究であり、略字体に限らず他の字体の変化や日本化に関する研究への発展性を有し、日本語表記の研究における応用も期待できる。

以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 


 

竹村明日香氏・宇野和氏・池田來未氏

謡伝書における五十音図―発音注記に着目して―」(『日本語の研究』第14巻4号。2018年12月)

 

〔授賞理由〕

謡に関する秘伝書の類には、伝承音としての仮名の発音を、五十音図を利用して説明したものがある。本論文は、これら謡伝書の五十音図と発音注記の全体像に迫ろうとする労作である。先ず、伝書の悉皆的調査により、発音注記が二つの系統に大別されることを明らかにしている。一つは悉曇学の三内説に拠り、行を「口喉舌唇」、段を「上音/中音/下音」の対立で捉える、伝統的なもの。いま一つは、室町後期以降に権威のあった『塵芥抄』の系統の伝書にみられる、行を「喉舌歯腮鼻唇」、段を「ひらく/ほそむ/すぼむ」の対立で捉えるもの。後者は開口度、舌の位置、円唇性の有無等を用いて、謡における仮名の発音のバリエーションを行・段で系統立てて示そうとしているという。後に四つ仮名の説明等に援用される調音点「あぎと(顎・腮)」も、謡伝書の揺籃期に悉曇学からいち早く摂取しており、近世の仮名遣書等に影響を与えた可能性も指摘する。

これらの伝書は、難解な能楽理論を説く世阿弥らのものに比して内容が平易で、具体的な発音や所作に関する技術指導的な色合いが濃く、近世まで広く流布していたという。謡を嗜む人々の間でこうした日本語音声の把握が共有されていたとすれば、学史的に重要な意味を持つだろう。興味深い新知見を膨大な資料群を精査して実証的に導きだし、今後の発展も大いに期待される好論である。

以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2019年4月15日掲載)

2017年度日本語学会論文賞

 

服部紀子氏

江戸期蘭語学における日本語の格理解―『六格前篇』と『和蘭語法解』を比較して―」(『日本語の研究』第13巻1号、2017年1月)

 

〔授賞理由〕

本論文は、日本人蘭学者による二種類の蘭文典、吉雄俊蔵『六格前篇』と藤林普山『和蘭語法解』における、日本語の格の理解について分析したものである。両書に共通しているのは、「格」をオランダ語に限らず言語に普遍的な文法範疇と捉えた点で、そのために日本語の格についても言及されることになるのだが、格標示形式については両書で見解の相違があり、『六格前篇』では助詞を中心とした機能語の類を考えているのに対し、『和蘭語法解』では名詞句、即ち「名詞+助詞/なるもの」をその単位と捉えている、とする。この分析を通じて、蘭文典が日本語文法研究史にとっても重要な叙述を含むことが明らかにされている。また、『六格前篇』が、格標示の一形式として、本居宣長『詞の玉緒』の「徒」を独自の修正を加えながら援用していることについても、考察が加えられている。

従来、日本語文法研究史と蘭語学との関係については、鶴峯戊申『語学新書』をはじめとした国学者の研究への蘭語学の影響を中心に考究されてきており、蘭語学者が国学における文法研究の成果をどのように受容していたかについての視点は不十分であった。本論文はそこに光を当てた点で、大いに新規性が認められるとともに、国学と蘭学との双方向的な影響関係を踏まえた日本語学史記述に向けて、今後一層の発展が期待される論考でもある。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2018年3月21日掲載)

2016年度日本語学会論文賞

 

辻本桜介氏

主節主体の動きを表す動詞終止形に接続するトテについて―引用と異なる機能の分析―」(『日本語の研究』第12巻2号、2016年4月)

 

〔授賞理由〕

本論文は、中古語の「特殊用法のトテ」を考察したものである。一般にトテ節は引用を表す(「~と言ひて/思ひて」の意)とされてきたが、「大殿籠るとて、右近を御脚まゐりに召す」のように「~にあたって/際して」の意で解される例がある。本論文はこれを「特殊用法のトテ」と呼び、(1)主節主体の動きを表す動詞終止形に後接する(引用のトテは後接しない。また中古の地の文に動詞終止形はあまり現れない)、(2)尊敬語動詞が現れる(引用のトテにはほぼ現れない。また中古に自敬表現の例は少ない)ことから、特殊用法のトテが引用のトテとは異なり、通常の文末表現を受けるものでないと指摘する。そして、(3)文主体が有情物に限られ、トテ節の動詞が意志動詞に偏る、(4)トテ節の句が動詞とせいぜい1つか2つの成分からなる単純な構造である、(5)前件(トテ節)事態と後件(主節)事態が空間的・時間的に近接して同一場面を表し、かつ前件事態の完遂時が後件事態の後である、という特徴から、特殊用法のトテは「後件時において主体がどのような動作に向かって進んでいるかを大まかに示す」と結論づける。

新規性のある問題に取り組み、実例に基づく堅実な分析を行い、特殊な専門用語に寄りかからず明快な文章で論述した点が特に評価できる。特殊用法のトテを引用のトテから区別する方法は巧みであり、結論も興味深い。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。


 

久保薗愛氏

鹿児島方言における過去否定形式の歴史」(『日本語の研究』第12巻4号、2016年10月)

 

〔授賞理由〕

本論文は、鹿児島方言における過去否定形式の歴史を、方言学的日本語史の方法によって明らかにしたものである。18世紀前半の鹿児島方言を反映するロシア資料には、過去否定を表す「ヂャッタ」という形式が認められる。一方、同方言の19世紀半ばの状態を伝える西郷隆盛の義妹の談話資料には「ンジャッタ」「ンヤッタ」の形式が見られ、さらに、現代の方言地図ではそれらの形式が九州各地に一定の領域を持っている。これらの形式の歴史的変遷、および、地理的展開の様相をもとに、鹿児島方言では近世半ば以降、「ヂャッタ」から否定と過去をより分析的に表現する「ン・ジャッタ」等への変化があったことを主張する。また、ロシア資料の表記に使用されるキリル文字の音価と日本語表記の様相を分析し、これらの形式の語源は、従来言われているような「ざり+た」ではなく、否定の接続助詞「で」に「あった」が加わったものであると結論づける。

地方語史の構築には地方語文献の調査が欠かせないが、本論文は18世紀ロシア資料という特異な文献を慎重に扱うことで有益な結論を導いている。また、早い時代の方言談話資料も駆使することで論の実証性に厚みを持たせてもおり、全体として、地方語史研究の新たな可能性を切り拓いた労作として高く評価される。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2017年4月28日掲載)

2015年度日本語学会論文賞

 

坂井美日氏

上方語における準体の歴史的変化」(『日本語の研究』第11巻3号、2015年7月)

 

〔授賞理由〕

本論文は、上方語におけるゼロ準体から準体助詞準体(以下、「ノ準体」)への変化を論じたものである。ノ準体は中世末から散見されるが、約200年間「の」の付加率は上昇せず、その間、人や物などの形状物を指す「形状タイプ」と事柄や作用を指す「事柄タイプ」の要素に有意差はない。形状タイプは明和-安永期から寛政-文化期の間にゼロ準体からノ準体への移行を進展させ、事柄タイプはそれに続く文政-天保期から大正期にかけて移行を進展させている。この結果から、当初「の」がモノ・ヒト代名詞であったとする説は採りがたく、「の」は当初から特定の指示対象を持たない文法要素であったと考えられ、ノ準体の「の」の起原は、「属格句+「の」」における「の」だと考えるべきであると述べる。さらに、項位置におけるゼロ準体からノ準体への変化の直接要因は、連体形と終止形の同形化であるとは考えがたく、他方言の要素も視野に入れると、形状タイプの構造変化を契機とするという仮説が立てうる、と論じる。

従来決め手を欠いていた、日本語史上の大きな変化に取り組んだ意欲的な論考であり、問題点の整理、方法論の提示、また、論の進め方が明快で、高い説得力がある。さらに、主として近世~大正期の上方語を精査するという、ややミクロな時代区分に絞って考察した点に新規性があり、将来性も感じられる。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。


 

堀川宗一郎氏

鎌倉時代における仮名文書の「とん」―固定的連綿―」(『日本語の研究』第11巻4号、2015年10月)

 

〔授賞理由〕

本論文は、従来、音節モ・撥音・促音と多対一対応しているようにみえた[ん]という表記形態について、実用文書である鎌倉遺文の文書史料を電子テクストと原文双方を用いて精査する、という方法によって、音節モに対応する[ん]は[とん]という「固定的連綿」に限られていることを、実証的に示そうとしたものである。まず、従来指摘されていた[とん]がトンという撥音形を示した可能性の低いことを、鎌倉遺文の片仮名文書に、「トモ」の例は多数あっても、「トン」の表記例が無いことを引き合いに、説明する。そして、原典確認の結果、[とも]は連綿・非連綿両方があるが、[とん]は全て連綿表記であり、かつ、必ずしも語や文節などの意味の単位とは対応していないことを確認し、[とん]が、決まった文字連続において必ず連綿表記される「固定的連綿」であると述べる。さらに、このような固定的連綿表示には、[とん]の外にも[なん][はん]が見られることも指摘している。

本論文は、書記史研究の点から、結論自体に、特段の斬新性があるとまでは言えないが、鎌倉遺文という文書史料を網羅的記述的に扱った、周到な調査に基づく結論は、従来の研究を確実に一歩進めたものとして、評価されるべきものであり、斯界での今後の研究発展が期待される。以上のことから、本論文を、日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2016年5月10日掲載)

2014年度日本語学会論文賞

 

岡田一祐氏

明治検定期読本における平仮名字体」(『日本語の研究』第10巻4号,2014年10月)

 

〔授賞理由〕

本論文は,教科書検定期(1886~1903年)の前後における,尋常小学校読書科用教科書(読本)の平仮名字体の整理について,その見本として刊行された文部省の『読書入門』(86年),『尋常小学読本』(87年)の方針が,どのように継承されていたのかを明らかにしたものである。具体的には,1874年から1900年までの読本110点を調査すると,検定期以前は,異体仮名ありの教科書が通常であったのに対して,検定期に入るとすぐに,異体仮名なしが異体仮名ありを上回って,以後,異体仮名なしが通常となるという結果が得られ,これにより,上記両書の字体習得の二段階のうち,「まず読み書きできるようになるべき字体」という方針に基づいて標準化が行われていったことが裏書きされる,とする。

法令等に基づかずに,見本となる方針を自発的に踏襲したかたちの,読本における平仮名字体の整理という事象を,詳細な調査の結果として提示し得たことには,十分な新規性が認められ,豊富な資料に基づく調査結果とそれを根拠にした論述は,高い説得力を有する。また,明文化された基準は存在しないが見本はあるという場合に,どのような動態が観察されるかという問題は,国語政策の問題のみならず,自然言語の変化についても興味深いテーマであり,今後の発展性も認められる。以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。


 

富岡宏太氏

中古和文における体言下接の終助詞カナ・ヤ」(『日本語の研究』第10巻4号,2014年10月)

 

〔授賞理由〕

本論文は,中古和文における詠嘆の終助詞カナ・ヤが体言に下接する場合(以下,体言カナ・体言ヤ)について,両形の表現性の違い,ならびに表現性と構文との関係を考察したものである。具体的には,体言カナは,話し手・聞き手の関係性において,聞き手の敬語的属性を問わないという性質があることを示す(逆に,体言ヤは聞き手が上位者の場合には使えない)。また,体言カナはその叙述内容にはテンスの制約がなく,広く過去・現在・未来の事態を叙述できるという性格も有するとする(それに対して体言ヤの叙述はほぼ現在に限られる)。そして,それらの記述から,体言カナは,いわゆる詠嘆的表現の中ではむしろ一般の叙述に近い,表現の自由度の高さを持つ,いわば「論理的な」評価を示し,それに対して体言ヤは,詠嘆のプロトタイプとも言える,現場即応的あるいは「直感的な」評価を担っていると見なされるという主張を行っている。

「詠嘆」的表現に関しては,俳諧の「切れ字」,山田文法の「喚体」等から始まり長い研究史があるが,カナ・ヤについて,このような性格の差がありうることを示したのは本研究が初めてであり,その点で,極めて新規性の高い研究と言える。テキストを丹念に読み解きつつ提示する論理の展開にも十分な妥当性がある。まださらに検討すべき点もいくつか残されてはいるが,同様の手法を他の語形・要素に適用してさらに方法論上の妥当性を検証し得るという発展性もある。以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2015年4月28日掲載)

2013年度日本語学会論文賞

 

小西いずみ氏,井上優氏

富山県呉西地方における尊敬形「~テヤ」―意味・構造の地域差と成立・変化過程―」(『日本語の研究』第9巻3号,2013年7月)

 

〔授賞理由〕

本論文は,富山県呉西地方における,動詞尊敬形「~テヤ」が,南部の井波では継続相を表し,北部の高岡では非継続相を表す,というところから出発して,形態論的特徴ならびにアクセントを根拠として,共時的に,井波の「~テヤ」は「~テ+助動詞」と解釈できるのに対して,高岡の「~テヤ」は全体として一つの接尾辞であると解釈しうることを論じ,さらに,井波の南部,五箇山には,「~テ+存在動詞アル」に由来する継続相尊敬形「~テヤル」が存在することに基づいて,井波の「~テヤ」は五箇山の変化形,高岡の「~テヤ」は,さらにその変化形であることを主張したものである。さらに,このような呉西地方の「~テヤ」形の展開は,上方語および西日本方言における「テ敬語」の成立についても示唆するところがあることを併せ述べている。

方言動詞の尊敬形の展開について,モデルとなりうるフィールドを具体的に見出して設定したことには十分な新規性が認められ,着実な調査と分析に基づいた論述には高い説得力が存する。また,方言における変化として一般性の認められる継続相から非継続相へのアスペクト性の変化,「~テ敬語」の成立・展開を考えるうえでも,今後波及するところは大きいと考えられる。以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。


 

平子達也氏

平安時代京都方言における下降調に関する試論―観智院本『類聚名義抄』に見られる平声軽点の粗雑な写しを手がかりにして―」(『日本語の研究』第9巻1号,2013年1月)

 

〔授賞理由〕

本論文は,観智院本『類聚名義抄』に観察される,平声軽点の「粗雑な写し」と見られるものを確定したのち,同じ下降調に現れかたの異なる二類が存在することを明らかにしたものである。具体的には,種々の根拠から,従来,下降調として再建されている形容詞終止形接辞「シ」が,観智院本では平声と上声に差声されていることに基づいて,このうちの平声点を,平声軽を粗雑に写したものとして捉え直し,それと二音節名詞5類の第二音節に差される声点を比較して,形容詞終止形接辞「シ」のほうが,より下降調で現れやすかったことを論じて,その根拠を述べ,さらに,以上のような分析が,従来から議論のあった,日本語アクセント史上の[HF]型の存否について,一定の寄与をなしうることを示唆したものである。

従来,観智院本『類聚名義抄』における「誤写」として捉えられてきたものを,積極的に新しい視点から捉え直し,さらに,同じ下降調として再建される形容詞終止形接辞「シ」と二音節名詞5類とを対比させて,その差異を指摘したことには,高い新規性が認められ,また,論述も着実で説得力がある。さらに,今後,日本語アクセント史にも寄与しうる,十分な発展性も認められる。以上のことから,本論文を,日本語学会論文賞の授賞対象論文としてふさわしいものと判定した。

 

(2014年9月11日掲載)

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