文部科学省の通知について

 先般,文部科学省が「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」という通知を出しました。それに対する理事会の基本的立場を,会員の皆さまにお伝えしたいと思います。日本語学会は,この通知に含まれている内容に対して深く危惧しており,反対の意を表明します。また,日本語学会が幹事学会を勤め,40近い学会・研究会が参加している言語系学会連合からも文科省のこの通知に対して,何らかの声明が発表されることになっていることをお伝えしておきます。この通知に対する基本的立場およびそれを表明することは,既に理事会で承認されたものですが,以下に記す文章は,私の責任によるものです。
 この文科省の通知には,「組織の見直し」という項目のもと,「教員養成系学部・大学院,人文社会科学系学部・大学院については,18歳人口の減少や人材需要,教育研究水準の確保,国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し,組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」という文言・内容が含まれています。簡単に言えば,この通知は,教員養成系・人文社会科学系の組織は,社会がさほど必要としないから,縮小・廃止の方向にもっていき,社会が必要とする分野の組織に変えなさい,というものです。
 出来ることなら豊かに平穏に生きたい,と思うのが,人の常ではないでしょうか。また,この種の願望を持つことは,人として決して贅沢なことではないし,全ての人がこの種の願望を持ち得,その実現のために歩んでいき得る社会でなければと思います―理想に過ぎないにしても―。私たちの生存を支え,さらにそれを豊かに平穏なものにするためには,生存を支えそれを豊かに平穏にするための物や環境が整っていることが不可欠です。そのような物や環境の実現・発展には,科学技術の革新が重要な役割を果すことは言を待ちません。今まで治せなかった病気が治るようになる,便利で快適な生活を送ることができる,さらにより多くの人がその恩恵を享受できるなど,といったことが可能になるのは,科学技術が進み,それが多くの人が利用可能なレベルまで大衆化しているからでしょう。その意味で,人の豊かで平穏な生存の実現には,科学技術の進歩が不可欠ですし,それを用意し推す進める知の発展が,これまた不可欠です。
 ただ,原子爆弾のように,科学技術の進歩の結果生み出されたものが,豊かな生どころか,人間の生存そのものを脅かすことがあるのも,また否定しがたい事実です。科学技術の進歩が生み出した成果を,何のためにいかに使うかが熟慮されなければなりません。科学技術を推し進める知とともに,そもそも科学技術を発展させることがなぜ必要なのか,科学技術の発展は何のためにあり,いかに活かされなければならないのかを問う知が用意され研ぎ澄まされていなければなりません。このようなことは,今さら改めて言うまでもないことであろうと思われます。その意味で,自然科学系の知だけではなく,人文社会科学系の知が必要なことは,言うまでもないことでしょう。さらに両者の知を深め大衆化するために,研究・教育機関が必要なことも言を待たないと思われます。
 この地球上には多様な人が生きており,したがって,人が感じる豊かさや幸せの内実も多様であろう,と思われます。豊かさや幸せの多様さを知り,それを尊重し合うことは,地球という運命共同体的な世界の中にいる私たちが生き残るうえにあっても重要なことだ,と思われます。その種の姿勢・認識の獲得・深化にも人文社会科学系の知は,重要な役割を果しています。
 私などは,人間は言語を持つことによって人間になり,人間の自己実現には言語が深く関わっていると思っております。日本語を核とする言語の多様な現れ・多様な側面を対象として,自らの研究・教育を推し進めることを務めとしている我が学会の活動は,直結するあり方ではないかもしれませんが,深いところで,人間というものへの認識の深化,人の自己実現そのものの追及に寄与している,と思っています。
 学問・研究が,社会さらにその中に生きている人間に必要とされ役立つことが重要であることは言うまでもありません。自然科学系とは異なって,人文社会科学系の研究分野での成果は,社会やその中に生きる人間の差し迫った要求に,目に見える形で直ちに役立つとは感じられない場合が少なくありません。ただ,既に述べたように,人間の豊かな生存には,自然科学系の知だけでなく,人文社会科学系の知の発展がともに必要です。研究・教育は,社会の差し迫った要請に応えるだけでなく,30年・50年さらにその先を見据えて行われなければなりません。従来の研究や教育に対する自覚的反省は,当然必要なことです。ただ,深いところで必要ではありながらも直ぐには社会に役立つ成果をもたらさない,ということで,それを切り捨て,その時その時の社会的要請に対応する分野・領域への移行を求めようとする状況には,ある種の危うさを感じずにはいられません。


日本語学会会長・仁田義雄

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(2015年9月7日掲載)

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